今月いっぱいの工場操業停止が発表されたダイハツ
16日には商用車グランMax(ОEМ供給のタウンエース、マツダボンゴ含む)型式認定が取り消されました。
出荷時点での車検が免除されるこの認定がないと一台づつ車検を通してからでないと販売できず、量販は出来ません。
何よりこれからの新車開発予定にも大きく影響すると考えられ、社風そのものへの影響も少なくないでしょう。
そんなダイハツが放ってきた異端ともいえる足跡を振り返ってみます。いえ、別に会社がなくなるわけじゃありません、念のため
そもそもダイハツが4輪メーカーの地位を築く前は3輪車のトップブランドでした。
軽3輪トラックのミゼットはテレビ番組の中で出演者がPRするインフォマーシャルという形態をとって一躍有名に
3輪トラックではマツダと覇を競う関係にありました。が、ほどなく4輪車を主力とした自動車メーカーへの脱皮を図ります。
3輪のミゼットは4輪のハイゼットに進化
そして当時スバルが圧倒的シェアを占めた軽乗用車市場にフェローで参入します。
縦置きエンジンをフロントに積んで後輪を駆動する3ボックスの構成は三菱ミニ化と同じオーソドックスなもの。
でも僕シーナスタイルに角型のヘッドランプをいち早く採用した処は先進的でした。
じつはこのフェローを開発するにあたり、ホンダN360のようなFF2ボックスも候補に挙げられていましたが、市販化されたのはFRボックス。
後に続きホンダのNが大ヒットを飛ばしたのを見て、開発陣は悔しい思い出いっぱいだったとか・・・・・1サイクル遅れてフェローがFF2ボックスに生まれ変わったのは1970年の第二世代になってからでした。
この年、ダイハツからは隠れた名作も誕生しています。
大阪で開かれた万博の場内タクシーとして100%電気駆動のタクシー(というよりゴルフカートの原型)を量産して、排ガスゼロの具現化をアピールしました。
このノウハウは数年後、3輪バイクの「ハロー」市販化に繋がります。
この年のもう一つのサプライズは4輪バギーの市販化、国産車でバギータイプの市販化は最初で(おそらく最後)?
当時はカブトムシことビートルのボディを取り去って、砂漠を疾走するバギーに改造するのが流行っていました。北米での話ですが、ダイハツは果敢にもトラックのハイゼットを丸裸にして、ハンドルを寝かせ、運転席をボディ中央に配置したバギーを仕立てます。
ボディはプラスチックで成形された1枚物のオープンでエンジンフードだけが別部品。ドアもなくフロントウィンドウだけのワイルドなクルマにはちゃんと登録ができてナンバー付きで行動も走れる市販車としての資格が与えられました。つまり認証をとったわけです・・・・・・
海外ではミニクーパーをベースにしたミニモークやシトロエンメハリといった同種のレジャーカーが量産され、ホンダもトラックの屋根と両サイドを取り払ったようなバモスHondaを市販します。子rも一種のバギー感覚で、4人乗り仕様もホロのルーフもありました。今でも根強いファンが大切に保有しています。
さて、トヨタの傘下に入った70年代は個性を発揮しずらい時代でしたが、リッターカーの開発に手腕を見せ、第1次オイルショック後に発売されたシャレードでは占有面積の小さいことをアピールした5平米かーというジャンルを切り開きました。
4サイクルエンジンで直6エンジンを半分に割ったような3気筒エンジンを積んだことも型破り。今ではヨーロッパ者の多くが採用するフォーマットになっています。
2代目シャレードでは、第2次オイルショックの洗礼を受け、子の3気筒エンジンをディーゼル化してしまうという荒業を見せています。
新藤も音も大きなディーゼルの欠点を隠そうとはせず、6君ディーゼルと銘打って世に出してしまう逆転の発想も痛快でした。
このシャレードにはデ・トマソと共同開発したシャレード デ・トマソ ターボも追加され、マニアの物欲を刺激しています。