2024年01月26日
桐島 とうそう辞めたってよ
街に溢れる指名手配写真ではお馴染みの顔「桐島聡容疑者」
身柄確保のニュースが流れました。偽名で入院中自ら名乗り出たとの報も!
三菱重工ビル等連続爆破テロ事件・・・・70年代の日本では国内にも反社会的な過激・テロ組織を内包していたものです。
60年代末頃から過激さを増した学生運動は過激派と呼ばれるメンバーたちの起こしたあさま山荘事件などで、主張の是非はともかくその負のイメージが極大に達し、世間の賛同をとても得られない集団へと変貌しました。
そんな連合赤軍メンバーがテルアビブで起こした無差別銃乱射事件(1972)は今につながるイスラエル・パレスチナの問題に根差したものでした。
そもそもは日米の安保条約反対に起因した学生運動は安保から米軍基地問題や原子力空母入港反対運動など政権に対するアピールが主流だったのが、三菱重工ビル爆破に至ってはその矛先がアジアに進出する民間企業に向けられたことで、大きく方向転換した印象があります。
キリシマが関わった一連の事件から数年後。大学のキャンパスには依然、大きなボードに赤インクでアピール文を書き殴った立て看板(タテカン)が散見されました。学内では授業前に新人勧誘に舌弁を振るうOBの姿を見かけましたが、総じて学生たちの反応はひややか。
彼らの活動には後継者がさして集まらなかっただろうと思われます。つまりここではいち早く高齢化が進んでいったわけ。
当時の活動家らも喜寿や古希を迎える年代となり、闘争ではなく逃走生活50年と言った輩も珍しくはありません。
手配写真も若かりし頃の旧いもので、時代の流れを感じさせます。