2024年01月03日
JA13XJ
羽田の炎上事故で失われたエアバス社製A350−941(JA13XJ)は引渡しからたった2年で灰となりました。
管制塔の指示通り、滑走路に侵入しボンバルディア製DHC-dash8を巻き込んで炎上、猛火に包まれて輸送機器としての生涯を終えました。
さて事故原因の検証はこれからの話ですが、ツイッター=Xにあげられている交信記録からは運命の分かれ道となったキーワードが浮かび上がっています。
離陸許可を得て滑走路RW34R南端の待機場所C1に向かうべき海上保安庁機が、なぜはるかに手前のC5あたりで滑走路に出たのか?
ここで絞り込まれる重要な要因は以下の二つです。
・管制塔の指示場所はC1だったのか?そこで待機を指示して離陸許可までを与えていたのか?
・海保機は離陸滑走のクリアランスまで受信していたのか?待機場所をC1と認識していたのか?それともC5と理解していたのか?
管制がC1を指示して離陸待機までしか許可していなければ、本来この事故は起こり得ません。それを海保機が守ることが前提で。
誘導路C5に入った判断は海保機の貴重判断だったのか?それとも管制塔の指示通りだったのか?
ここがこれからの商店となりそうです。
交信内容については録音データがすでに公開されていて、両者とも機長が生存しているので聞き取りも可能です。
責任の所在が明らかになれば、どちらかがお詫びの会見を開き、それがまた炎上の火種になるかもしれません。
ところで滑走路上で航空機同士が衝突するというのは、遠く1977年に起きたスペイン領テネリフェ島での747同士の衝突事故を想起させます。
航空機事故市場いまだに最大の犠牲者を出した、あの事故も滑走路上で起きました。
着陸して指定された誘導路を進むよう指示された747が誤って滑走路上を進行。そこに離陸許可を得てテイクオフ中の747が猛スピードで接近、目視で相手機を見つけた時にはすでに手遅れの位置関係でした。
というのも当時は悪天候で滑走路の向こう側が見えない霧の中、滑走路を見渡せる視界があったら避けられた事故でした。
今回は夜間とはいえ視程30km、空港施設も明るいターミナル2の真方面でした。
海保機が滑走路に侵入した時点で、日航機がどの位置にいたのかはいずれ明らかになるでしょう。
それはそうとカーボンケプラーを素材の53%に使うエアバス最新鋭機、A350が焼失したのは私が知る限り世界で初めてです。
部品単位で燃焼実験が行われたかは不明ですが、これが他の機種だったら果たして火のまわりは早かったのか遅かったのか?
これから発生するかもしれない葛西事故での貴重なデータも採れるハズです。
たった2年で灰になってしまったJA13XJ機にはマニアの間から消失を惜しむ声と共に安全性を称える声が多く寄せられたこともみのがせません。
と同時に国交省の会見には早くも炎上の火種が見受けられ、延焼が防げるか?心配する向きもあるようです。