2023年06月30日
code mark
今からずうっと前明治の初めにモース博士が大森の地で貝塚を発見、調査しました。見つかったのは縄文後期にかけての土器
つまり3000から4000年も前から大田区民がここで生活していたわけです。
竪穴式住居というティピにも似た住居を設え粘土を焼き固めた土器で煮る炊く焼くなどの料理を作り、団子やハンバーグ似のメニューすら作っていたと考えられています。
元はこの辺りに海岸線があり,そこを東海道線のレールが走っているわけです。現在の海岸線は大井競馬場のさらに先、昭和島の向こうにまで遠ざかっているものの、羽田C滑走路にアプローチする到着便が間近に見えることからその近さが窺えます。
この貝塚を発見したモース博士は東大の招きに応じて来日したもので横浜で下船後、車中からこの貝塚を発見したとか。
縄文式の名付け親も博士でcode markを直訳したのが即ち縄文と言う訳です。