国内最長24時間耐久レースで脚光を浴びる32号車、水素エンジンカーだけではなく、メーカーの人間、それも開発した当事者たちが参戦しているレースカーもある。
HONDAシビックtype-R、マニアにはHONDAで一番の人気車種と言って間違いない。カーナンバーは743号、白のボディーカラーはタイプRのテーマカラー。開発責任者のほかにはジャーナリストや女性ドライバーも名前を連ねている。ボディには大きくTYPE-Rのロゴが印象的。
参戦カテゴリーは強敵ランサー・エボリューションが絶対王者たるクラス、これにGRヤリスの四駆ターボ勢が加わる。タイプ-Rは前輪のみの2輪駆動ながらこれらの強豪に挑もうというわけだ。
pm15:30 SAT
レースは定刻どおり土曜日午後3時スタート、1ラップ2分を軽く切るタイムで順調に周回中、と思いきや12周を終えたところで突如緊急ピットイン。エンジン警告灯が点灯したのだった。だが、何のトラブルなのか原因がつかめない。本社にある筈のソフトウェアで解析でもしないと警告エラーなのかどうかも分からず、何をどう直したらよいのか現場では分からない。分かったとして、その修理が出来るのか・・・・・・
実はここからが743号車を裏で支えるスタッフたちの遥かな耐久作業の始まりだったのだ・・・
原因が分からないからには制御を司るコンピューターごとエンジン本体を載せかえるしかない。
こう結論が出るまでの時間は早かった。問題はそれから先。
使用可能な同仕様エンジンのある場所は栃木県のホンダの施設。だが、土日でクローズ中だ。入室するにはセキュリティの担当者が出社しないとドアが開かない。万事休す?しかし、ここにも救いの神がいた。スタッフの一人がたまたまこのセキュリティ部門にコネクションを持つ人間で、何とか休日のオフィスに入室できる手はずが整いそうだ。
だが、それにはここ富士スピードウェイにいるスタッフが現地まで赴かなければならない。
決断が下るのも早かった・・・がそれから、栃木県まで当事者が急行、エンジン積み込みトラックで富士までトンボ返り、そしてようやくエンジンの交換作業が始まるのだった・・・・・
am0:00sun
ライバルたちは何百周もラップを重ねる中、表示モニターには743号車現在ピット中の黄色いサインが点ったままだ。時計の針は深夜12時を回った。俄かにガレージ内の動きが慌しくなった。ピットガレージから、ようやくエンジン音が聞こえてきたのは1時前。排気系の脱着も含めた大工事を経ての復活だ。
am1:00sun
深夜1時、ようやくドライバーがシートに納まり、エア・ジャッキの空気が抜けて車体がピットロードに降り立った。ここからが待望のレース再開である。モニターの表示が13周目から再び小さな数字を積み重ねる。
am9:00sun
朝日を浴びながら順調に周回を重ねていた頃、レースの神様は次なる試練を与えたもうた。またも743号車はピットに長時間居座り続けることになったのだ。原因は排気系に出来た亀裂だった。
初めての耐久レースに音をあげたのか?エンジン脱着の際に傷ついたものなのかは判然としない。が、朝を迎えてもう部品を取りに戻る時間は到底無い。この亀裂を何とか直さなければ!
御殿場周辺には腕のよい溶接職人がいるとは、聞き及んで判っていた。彼の元に走るしかない!レースの女神が授けてくれたラストチャンスだった。
am11:00sun
修復なった長い排気系パーツが再びマシンの床下にセットされた頃、レースの残り時間は4時間を残すだけとなっていた。ドライバー藤島知子は始めて挑戦する24時間ランの最初のステアリングを握るのに、一体何時間待たされたことか・・・・何台もの遅いクルマをラップしながら50周を無事ドライブし終えて、最終ランナーに引き継ぐ。
散々な緒戦だったかもしれない。予選も雨で中止となり、24時間のうちのホンの一部しかハンドルを握れず、何時間も待ちわびる辛い時間を経験した。本来経験するはずだった体力的な疲労ではなく、精神的な疲労は想定外のものだったに違いない。
記録には残らなくとも、記憶には鮮烈な印象を与えた耐久レースだった。
一台のクルマをスタートさせるのがこんなにも大変で、苦労を伴うことなのか、と改めて実感させられるレースだった。
豊田社長のチームが言わば社長決裁でオペレート出来るのに対し、こちらは社内有志の小さな部隊。ライバルメーカーが脚光を浴びた片隅で、こんなにもドラマチックな展開があったのもまた24時間の耐久レースの明暗。
会社チームといえども、その参加形態も陣容も実にさまざま。でも自分の車をはやく走らせたい、という強い気持ちは少しも見劣りしないものだった。
タイプRの闘いはまだまだ始まったばかり。いつかホンダらしく表彰台の頂点に立つまでチャレンジは(多分)終わらない