2021年05月05日

こどもの日々

端午の節句で無くたって子供には毎日がこどもの日のようなもの。記憶にあるモータリングの思い出をさかのぼってみると、父が通っていた自動車学校にたどり着く。

教習コースの一画にはマメ自動車と専用の小さなオーバルのコースがあって,内側にはショートカットするようなクランク路も設けてある。父に連れられ訪れたその自動車学校で生まれて初めてエンジン付きの乗り物を自分で操縦したのは幼稚園に入る前か後の頃のこと。

エンジンは200ccくらいの単気筒と思われ、変速機は無し。遠心クラッチでスタートするのでアクセルさえ踏めば動き出す。全開でもせいぜい20kmは出ていたかどうか?レーシングカートと違ってちゃんと鉄のボディを持ち、前後には頑丈なバンパーも備えられている。これで、モータリングへの扉を開かれた、というわけ。

外周を全開でブッ飛ばすのがとにかく快感だったのに,父はしきりに中央の屈曲した細いコースを回ってくるように指示して来る。当時はコーナリングの魅力に目覚めるよりずっと前だから、半径のきついカーブを曲がるのは不得手だし、苦痛ですらあった・・・・・

半世紀以上も前に開園した横浜市のこどもの国にもマメ自動車に乗れるコースがあったらしい。こちらは屋根も付いて一層自動車らしい形をしていた。ホンダがオープンした多摩テックにも二人乗りゴーカートと本格派のコースが用意され、オトナでも楽しめる内容となっていた。マイカーがまだ憧れの存在だった頃にはこうした、夢を体現できる施設が身の回りにあったものが・・・・・

昨今の車離れを見るにつけ,こうした幼少時の体験の有無も少なからず影を落としているのではないかとかんぐってしまう。ディズニーランドに行けば確かに、マメ自動車を運転した気分にはなれるものの、あれはアクセル操作のみ許された、レール上を走る鉄道に過ぎない。

てっぱくをはじめとして、遊戯施設には鉄道を模したアトラクションに事欠かない。他方で、自分が運転を楽しめる遊戯設備となると、事故責任の問題も絡んでくるので容易ではない。遊戯施設からしてクルマ離れが止められないのが悲しいかな変実である。自分もあの自動車学校で、もしも豆自動車に乗っていなかったら・・・

| 15:47 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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