2015年03月31日
ジョンソンタウン
埼玉県入間市のジョンソンタウン。
米軍ハウスが立ち並び
カフェや雑貨屋さんなどがOPENしています。
http://johnson-town.com/
ペットを連れての家族連れも多く
のんびり 時間を過ごしている感じでした。
埼玉県入間市のジョンソンタウン。
米軍ハウスが立ち並び
カフェや雑貨屋さんなどがOPENしています。
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ペットを連れての家族連れも多く
のんびり 時間を過ごしている感じでした。
事務所近くで見かけた一匹の黒ネコ。首輪が付いているので飼い猫なのだろう。置物のように佇んでいたので見逃しそうなったが、一瞬目が合って、その存在に気付く。それにしても、何とも気持ちよさそうな表情だ。
服部 陽介Official BLOG
http://hachiprio.blogspot.jp/
今回の航空機事故でも、前年のマレーシア航空機の行方不明についても飛行機や高速バスは電車と違って運転、操縦する人間に依存する割合があまりにも高く、たったひとつの悪意やちょっとした居眠りなどの小さなミスが大多数の乗客の命を左右する結果になりかねない脆弱性をあらためて露呈しました。
新幹線ならちょっとぐらい居眠りしたって、ちゃんと停まれます。自動運転も日本では既に34年の実績がありその信頼性の高さは案外目立っていないばかりか当たり前の様に捉えられています。
さて、一般公道でも始まった自動運転車の実証実験。日本国内でもとある場所で、自動運転の乗用車が実験を続けています。もちろんまだまだ実験段階、運転席にはドライバーが座っていて、いつでもハンドルを掴み「万が一」に対応できる体制です。じゃあ、実際に自動運転機能付きの自動車が街中にあふれる時代が来るでしょうが?
いずれは来るでしょう・・・・2020年にはまだまだ、間に合わないかもしれませんが。
今回の事故ではエアバスA320の構造や機体に依存する墜落理由ではないことが徐々にはっきりして来ました。ある意味安心しましたが、人間管理という難しい問題では新たに厳しい局面に直面したと云えそうです。
さてA320と云えば、フライバイワイアの嚆矢として鮮烈なデビューを飾ったことが印象的です。操縦席の前に床から生えた大きな操縦桿は有りません.航空史上画期的な出来事でした。パイロットの足元スペースが格段に広がり・・・・と云うよりも片腕で軽く操作できるジョイスティックで何百トンもあるエアバスの機体を操ってしまうのですからオドロキです。
飛行機の舵は昔っから操縦桿とは機械的に連結されていました。自転車のブレーキも理屈は同じです。油圧機構に置き換わってからも、操縦桿の作動量が作動油の変化量に置き換えられただけで、自動車やバイクのブレーキと同様、レスポンスはダイレクトなものでした。
フライバイワイアという全く新しい伝達機構は電気とモーター、センサーが必要でそのどれもが健全に動くことが大前提です。言ってみればラジコンの飛行機を操縦する様なもので、空中を飛ぶ電波を電線ケーブルに置き換えたような伝達経路です。もちろんホンモノの飛行機を動かす舵ですから何重もの安全機構で守られていることは疑うまでも有りません。
フランス南部アルプス山脈の標高2000m付近にバルセロナからデュッセルドルフへ向っていたルフトハンザ系格安航空会社Germanwings の4U9525 便が墜落しました。機体登録ナンバーは D-AIPX, A320 シリーズの内147番目に製造された 25 年もののいわゆる老朽機でした。
地中海からフランス領内に入り巡航高度を飛行中,何らかの理由で高度を下げたあと墜落です.速度は若干低下傾向にあったものの,エンジン停止などのトラブルがあった様には見えません。この高度の下げ方がパイロットの意図に依るものなのか,意図しないものだったかは原時点で不明です。意図せず高度だけが下がり続け,回復操作が効かなかったとすれば,機体側の欠陥が疑われるものの、それを証明する証拠は今のところありません。
本格的な原因調査はこれからですが、高度を下げたきっかけが何だったのか?それと、降下中に一切通信が途絶えていたことが疑問です。緊急事態だったにせよ高度を変更するには管制への報告と承認が必要で、これを怠った時点で重大なルール違反、もしくは重大な事故とみなされます。
コクピットボイスレコーダーとフライトデータレコーダーは発見されており、解析が待ち望まれます。対地速度が400kt近くもあったため、機体は粉々に粉砕されており、大きなパーツは車輪以外に見当たりません。これでは生存者に望みをつなぐことは不可能でしょう。日本人乗客も2人乗り合わせていたようです。
高度の低下と、通信の途絶がいずれも意図しなかったものなのか、あえてそうしたものなのか、事故の原因に大きくつながるポイントとなるでしょう。そして今の段階ではテロによる何らかの人為的な原因というのも決して否定はできないことが気がかりです。
大ヒットしたナイトミュージアムの最新作、今度はロンドンに高飛びです。ベンスティーラー、ロビンウィリアムズに加えてゲストスターには思わぬ演技派俳優も!
おなじみのキャストが大英博物館を舞台にロンドンの町を引っ掻き回す大騒ぎはロンドンを訪れたことのある方には懐かしくも思えることでしょう。
これでシリーズも最終作か、と思わせたところにフィナーレを飾るBGMとして選ばれたのはシェリル・リン / Cheryl Lynnのなつかしの大ヒット「GOT TO BE REAL」 なんとも粋でお洒落な選曲です。たった一曲でこの作品がとても好きになってしまいました。
映画の舞台となった、NY自然史博物館はセントラルパークの西隣り、周りは閑静な住宅街です。ちょっと歩けばリンカーンセンターやコロンバスサークルにも近い場所、上野の根津周辺みたいな立地です。サンドイッチ片手にパーク内散策と自然史博物館見学だけでも充分一日楽しめる、お天気にも左右されにくい経済的な観光コースです。
1995年3月20日朝、霞ヶ関付近を走行中の営団地下鉄(現・東京メトロ)の車内で神経ガス「サリン」がまき散らされ、13人が死亡、6300人が負傷するという前代未聞のテロが発生。オウム真理教による「地下鉄サリン事件」だ。
私はこの年の1月いっぱいで新潟放送アナウンス部を退社し、3月からFMラジオのワイド番組を担当していたのだが、まさか番組を降り、そのまま事件・災害の取材キャスターを務めていくことになろうとは予想だにしていなかった。私の放送人としての歩みを変えてしまった出来事と言っても過言ではない。
あの日から今日で20年。世界では過激派組織などによるテロが後を絶たないが、一連のオウム事件が何だったのかを熟考する姿勢は、新しいテロへの対策にもつながるのではないだろうか。忘れることなどあってはならないのだ。
服部 陽介Official BLOG
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新幹線で金沢に着いたら、もうひと駅足を伸ばしてみませんか。西金沢駅の隣りには小さなローカル線のホーム、ここが北陸鉄道石川線への乗り換え駅です。始点は金沢市内にありますがJRにもっとも近い乗り換え駅はここ。ほどなくすると2両編成の短い電車が現れます。今も東急線で活躍しているステンレスの7000系、古い初代の方がやってきます。京王井の頭線で見かけた旧3000系がやってくるかもしれません。
終点の鶴来駅は近年まで途中駅でしたが,今ではここが終着駅。木造のしっかりした駅舎は風格を感じさせます。一時間でも二時間でも長居して雰囲気を味わいたくなる駅です。
都心の桜の開花予想は 25日頃。
もうじき 桜の季節ですね。
そんな中
一足早く 春を満喫しに
先日河津桜と菜の花のコラボレーションを
楽しみました。
福井県の南部に位置する敦賀(つるが)と云えば日本海に面した静かな湾があり,近畿地方有数の海水浴場があったことを覚えています.当時父の会社の海の家が敦賀湾内にあって,夏休みを何度かここで過ごしました。お盆を過ぎてクラゲが大量に発生し、一面ゼラチンの海のようだったのが印象的。強風に流されてお気に入りのゴムボートを無人のまま日本海に流してしまったのは残念な思い出でした。
そんな敦賀のスグ近くに原子力発電所が出来て大阪万博に電力を供給し始めたのは45年も前のこと.このたびその古〜い敦賀原発の廃炉が正式に決まりました。
45年も前といえばカローラやサニーが最初のモデルチェンジを受けた頃.40年前の75年ならCVCCシビックがアメリカのマスキー法排ガス基準をパスして注目を浴びた頃でした。もちろんその頃のサニーもシビックも、今ではほとんど路上で見かけません。沖縄海洋博の跡地はどうなったでしょう。航空機や船舶の法定耐用年数は17年。文明国の日本国では20年も運航されることなど考えられません。
この春で消えてしまうブルートレインの定期運行、かつて東海道本線といえば、ブルートレインの主戦場・・・・・・京都あたりの東海道線沿いのホテルに泊まると、深夜にかけての時間帯、多くのブルートレインが疾走してゆく姿を望めたものでした。今、同じ場所から眺めても、目にするのはサンライズの一本だけ。つい10年程のあいだにこうも変わってしまったかと、当惑します。
大阪での仕事となると帰京のタイムリミットは最終の新幹線か伊丹発9時前の飛行機、しかしブルートレインならもっと遅くまで滞在できました。有名な急行「銀河」は数年ほど前まで運行されていましたが、もうありません。10時過ぎに大阪駅を発車、早朝に東京着ですが寝台料金の6000円を払うと、もう新幹線の特急料金を上回っています。実質的なブルートレインの一員ながら高速夜行バスにも新幹線にも敗北し、消え去っていったのも無理ないかもしれません。ブルートレインの登場後は、お下がりの20系車両をあてがわれ、晩年は特急と同じ24系の二段寝台となったので高い寝台料金も無理ないのかもしれませんが・・・
3月7日に全線開通した
首都高速中央環状線。
山手トンネルにGO!
してきました。
五反田から
大橋ジャンクションまでですが・・・。
もぐって行く~~という感じです。
3月14日は「ホワイトデー」。ホワイトデーはバレンタインデーのお返しにクッキー、マカロン、キャンディーなどのお菓子類をプレゼントする日とされている。業界の仕掛けとは知りつつも、一応のご挨拶を。Happy White Day!
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まもなくその定期運行を終えようとしている「トワイライトエクスプレス」ニュースでもその最後の姿を数多く捉えているようです。列車はまもなく上下のトワイライト同士がすれ違う頃?あと半日ばかりの列車の旅を乗客たちは満喫している頃でしょうか?待ちくたびれて熟睡中?
それまでのブルートレインとは違って車体をグリーンに塗り替え、ひときわ豪華な列車としてデビューした豪華列車も,元を正せば70年代に製作された24系寝台客車。これに替わる新型車両と云えば,カシオペアの26系車両しかありません.オマケに青函トンネルの仕様変更で,高価な機関車を新製出来なければ青森から先の牽引機が見当たりません。
北海道に直行できるのも魅力の列車でしたが,日本海沿いを直通する特急がこれで皆無となってしまうのも見逃せません.沈むトワイライトを眺めるには特急電車を乗り継ぐか,各駅停車を選ぶよりほかに無くなります.
1993年7月の北海道南西沖地震、その瞬間を留萌の駅舎内で迎えることになりました。程なくして津波注意報が出されたことを知って、真っ先に向かったのは海岸沿いの岩場でテントを広げていたライダー達のいるところでした。すぐさまバイクで急行し、彼らに事の重大さを告げると、地元の消防車が警戒を呼びかけるアナウンスと共に巡回してくるのが見えました。
道南に比べて震源からは距離があるものの日本海に面した留萌です。日本海を見下ろせる高台の公園には避難してきた地元の人が続々集まってきました。皆、カーラジオから流れる地震関連のニュースに聞き入っているようです。中には愛犬を伴って散歩気分のおじさんも見かけました。海岸からはかなり標高差があり、あんまり危機感はなさそうです。ラジオからは奥尻島で大規模な土砂崩れの発生を報じていましたが、それ以外の被災状況は明らかになってはいませんでした。
三陸海岸の宮古釜石間を海沿いに進む山田線に乗ったのは今から10年以上前,既にJRが運営し、車両も新型のキハ110系に委ねられ、快適な走行を楽しめました。早朝のイチバン列車は五両くらいの編成、おそらく回送車両を含むものと見られますが,単線ローカルらしからぬ威厳を保っていたものでした。
そんな、三陸海岸、山田湾を望めるのが山田線の路線名の由来。
(船越湾〜浪板海岸口駅;震災前)浪板海岸と云えば,駅からも至近距離の県内随一の人気海水浴場でもありました。国道を挟んで海岸線がちらちら見え隠れしますが標高差はかなりあったと記憶しています.それにもかかわらず,津波被害を受けて復旧に手間取ったのだから余程想像を絶する津波の高さだったんでしょう。ちょっとした高台にあった筈の駅舎までもが被害を受けているのが信じられません。
寝台特急/北斗星に乗ったのは,まだカシオペアが運行されるより前,毎日二本の北斗星が上野駅を発着していた頃のこと。ちょっと早めの夏休みに北海道ツーリングに出掛けた,20年以上も前のことでした。さすがに個室のBソロは入手できず普通の二段開放寝台で上野駅をあとにします.出発は確か午后四時すぎ,今のカシオペアの運行ダイヤです。宇都宮、黒磯と通過して,福島、仙台とお馴染みのルートを北上。日付が変わる頃には盛岡を過ぎて青森駅には深夜の到着でした。機関車を付け替えて青函トンネルをくぐると,もう日の出の時間、那須連邦や蔵王連山が見えたのと同じ側の車窓に津軽海峡の青い海面が見え始めます。函館駅では再び機関車交代、ここからはディーゼルによる非電化区間の疾走です。ここは,昔北斗や北海で函館を出発した午前四時台のスジ,大沼公園を突っ切り,右手に噴火湾,左手に広い牧場を眺めながら午前九時過ぎ、札幌に到着しました。バラエティに富んだ昼間の車窓は退屈している暇も有りません。
今、恵比寿三越の二階で公開されている巨匠松本零士の作品展、ご存知不朽の名作、銀河鉄道に宇宙戦艦。モデルになったのはどちらも昭和の英知を結集したSL「C62-48」と戦艦大和。つい先日、姉妹艦の戦艦武蔵の所在が明らかになって、ニュースになったところですが、巨匠の描くC-62のデッサンは緻密で正確、その質感を豊かに再現しているのがわかります。一方戦艦ヤマトは宇宙戦に備えてアレンジされてはいるものの巨大さ、威厳、力強さは少しも失われず再現されていることに驚きます。
3月4日(水)〜17日(火) 会場:恵比寿三越 2階アトリウム
最近、相模川の川岸に現れた高架橋の列。新幹線の車窓や東名からも目立つ光景ですが、これは圏央道(首都圏中央連絡自動車道)の一部。既に部分開業している区間もありますが、いよいよ寒川北ICと海老名JCTの間が3月8日に開通しました。ユーミンの歌にも出て来る相模線に沿ったルート、
・・・・と云うことは,茅ヶ崎の手前で高速のゲートをくぐったら,その先は東名,中央、関越道にも直結している訳で,わざわざ都心経由で首都高速の料金を払わなくったって,北上できることになります。
逆の見方をすれば埼玉,群馬の人たちも、高速に乗ったらそのまま茅ヶ崎の海岸まで直行できる訳でして、憧れの湘南海岸がグッと身近な存在になる,という訳です。東名沿線も然り,国道1号原宿交差点という渋滞の禁句を口にしなくて済みそうです。
私鉄電車の場合はコレと良く似た現象が二年前に起きています.そう,東横線と副都心線の直結です。池袋/埼玉方面から横浜方面に繰り出す観光客がどっと増えました.逆方向もまた然りで日曜日の東横線/急行の込み具合と言ったら2年前とは隔世の感があります。
圏央道の開業で心配なのはPAの圧倒的な不足。トイレだけは圏央道入りする前に済ませておかなければなりません・・・・・
以前、杉江アナウンサーがコーヒーショップのレシートでゾロ目を連発したことがあったが、今回はニュースルームで発見した珍しいゾロ目をご紹介しよう。
J-WAVEで契約している気象会社「ウェザーニューズ」から送られてきたファックスに朝の最低気温「5.5度」が午前「5:55」に観測されたとの記載。特にご利益がある訳ではないのだが、これだけ並ぶと何となくありがたみを感じるものだ。
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恵比寿ガーデンプレイスを中心に展開されている第7回恵比寿映像祭~惑星で会いましょう~2月27日(金)から3月8日(日)単に映画の上映だけでなく様々な映像表現のトライアルが展開されていて興味深いイベントです。大規模改修工事による東京都写真美術館の休館を機に、恵比寿の街を舞台に開催中。
会場のひとつ恵比寿ガーデンホールに足を運んでみると天井から吊るされた奇妙なオブジェや携帯パーツで埋め尽くされたボディースーツ、画面に表示された11桁のゼロで始まる番号・・・・携帯を手にとって思わずプッシュしてみたくなりますよね~それぞれにユニークな仕掛けがあって、思わずじっくり見入ってしまいます。
映像表現といってもスクリーンに映される二次元的な平面映像だけではなく、携帯の液晶画面や3D立体映像,ipodとここ数年で表現ツールも様々なバリエーションが生まれています。カメラだって超小型CCDの活用で、今まで考えもしなかった視点からの撮影ができてしまいます。そう、映像表現の世界は急速に進化、発展しつつあるんです。何より実際に目にしてもらわないことには解ってもらえませんが、これは興味深いイベントです。
もちろん一部有料の映画上映もあるほか、お馴染みの街角をテーマにした作品群など、見所もたくさん。今度の日曜日までの開催です。
ひな祭りの日は過ぎてしまいましたが、なんとも可愛らしいネーミング!去年暮れの奏子サンのコンサートでピアノ演奏を担当していた可愛い女性が桃瀬茉莉さん「ももまり」です。水曜日の宵、川崎の映画の街、チネチッタでミニコンサートがありました。ヴォーカルに伊沢ビンコウ,サックスプレーヤーに渡邊勇人を迎えて、一時間をオーバーする、ミニとは呼べないミディなライブ。春めいた陽気も手伝って心地よいひとときを過ごせました。
冷たく澄み切った夜空にキーンと響き渡るような強いタッチのトーン、力強いリズムと相まって独特の世界を醸し出してくれます。クラッシックの基礎を土台にジャズのテイストで味付けした、どちらかといえばその、チャーミングでコケティッシュな愛くるしい容貌からは想像もつかない、控えめで切々と語りかけるようなメロディは冬景色にとても良く溶け込みそうな雰囲気です。
まもなく新幹線が開通する北陸路,でも,ほんの少し前までは夜行列車で夜討ち朝駆け、現地に朝イチバンで到着する無駄の無い手段も残されていました。上野発の夜行急行列車、「能登」
廃止されてから、もう数年になりますが,おそらく上野駅を発着する最後の定期急行列車となった筈。とはいえ使用する車両は元特急電車.常磐線などでも頻繁に見られた国鉄時代の標準特急タイプです。
立春からは,はや一ヶ月.まだまだ春までは一進一退を繰り返していますが,日の出の時間は確実に進んでいます。3月の声を聞くと,東京では午前6時の空も漆黒の闇から少しずつブルーに。
同様に日の入り時刻も6時に向って刻々と延びています・・・・
昨年の春、定期運転が終わった寝台特急あけぼのは上野から東北に向う最後のブルートレインでしたが,今年正月の臨時運転を最後に運用の見込みはなさそうです。一時期,ゴロンとシートと称して格安の寝台料金で深夜バスに対抗しましたが,もはやその設定も無くなってしまいました。鉄道旅が格安だった時代も段々遠ざかってゆくようです。
マッサン=竹鶴政孝が留学中にウィスキーづくりのノウハウを詳細に書き留めた、有名な「マッサンノート」のレプリカです.図解入りで細かいデータも添えられ、帰国後ウィスキー造りに役立つようなマニュアルの役目を果たしています。それでもマッサンはポットスチルと石炭釜の正確な距離を測るため、再びスコットランドを訪れます。
当時の洋行に用いられた旅券=パスポート.そしてスッコットランドから日本の郷里,広島の役場宛に送られた結婚の証明書・・・・どれも今から100年近く前の出来事を,リアルに物語っているようです。
JRが発表したプランに依りますと羽田空港まで直接乗り入れる路線が建設され、東京、新宿からも羽田に直行できるとか!このところ国際線の拡充で(元々は羽田が唯一の東京・国際空港だったので、昔にやや近づいた?)ますます利便性が注目される羽田空港。
実はそれよりも先、今年度末には東海道線と常磐線が直通運転(東北縦貫線=上野東京ライン)を開始します。元々は上野までつながっていた東海道線のレール、品川駅に広大なホームが広がっていたのは東京,上野駅の混雑を補完して品川始発の長距離列車を走らせるのにも役立っていました。
来年度には東海道線を走る常磐線やその逆も見られそうですが、地方からやって来る旅行客には混乱の極み?でも、将来水戸から羽田への利便性は格段に向上しそうです。
東京のこっち側から見るとあまり馴染みの無い常磐線ですが、上野始発の特急電車が数多く残る希少な存在、スーパーひたちやフレッシュひたちなどの特急車両が東海道でも見られるようになればこれも魅力的です。