2015年03月10日

北斗星の旅・1

 寝台特急/北斗星に乗ったのは,まだカシオペアが運行されるより前,毎日二本の北斗星が上野駅を発着していた頃のこと。ちょっと早めの夏休みに北海道ツーリングに出掛けた,20年以上も前のことでした。さすがに個室のBソロは入手できず普通の二段開放寝台で上野駅をあとにします.出発は確か午后四時すぎ,今のカシオペアの運行ダイヤです。宇都宮、黒磯と通過して,福島、仙台とお馴染みのルートを北上。日付が変わる頃には盛岡を過ぎて青森駅には深夜の到着でした。機関車を付け替えて青函トンネルをくぐると,もう日の出の時間、那須連邦や蔵王連山が見えたのと同じ側の車窓に津軽海峡の青い海面が見え始めます。函館駅では再び機関車交代、ここからはディーゼルによる非電化区間の疾走です。ここは,昔北斗や北海で函館を出発した午前四時台のスジ,大沼公園を突っ切り,右手に噴火湾,左手に広い牧場を眺めながら午前九時過ぎ、札幌に到着しました。バラエティに富んだ昼間の車窓は退屈している暇も有りません。

これだけ乗ったら寝台料金も納得の値段です。DSCN7661.jpg

 札幌で予約してあったレンタルバイクに跨がり一路北上、北海道開拓の村を見学し,国道5号線を旭川方面に向います.砂川の辺りで国内最長の国道直線区間を通りますが,信号も交差点もあるのであまり,実感は出来ません。鉄道の直線最長は苫小牧の手前で通過していますが,線路を見てないので実感無し。高速道路に設けられた、当時出来たばかりのハイウェイオアシスにも寄り道します。
 深川からは,当時廃線目前だった深名線に沿うルートへ。すれ違う列車もごく稀で,同じ方向の列車に遭遇したりすると,撮影チャンスを窺って大忙しになります。ここは国内で唯一、キハ53ー500系と云う珍車が走っていた路線.急行型の顔を前後に持つ一両編成の気動車がノンビリと走っていたものです。名も知らぬ木造の小さな駅に立ち寄ってみると,そこには駅を訪れた大勢の旅行客が書き連ねた連絡ノートが。メールもネットも普及する前の時代,丸文字の可愛いメッセージが何冊にも渡るノートを埋めていたものでした。

 名寄の手前では国内で最低気温を記録した朱鞠内湖に立ち寄って見ましたが7月、真夏日の炎天下、実感は湧きません。あとはあても無く彷徨っていたソロツーリング、進路を留萌本線方面に定めて,一路留萌の街を目指します。のちに,連続ドラマ;すずらんで舞台となった(架空の)『明日萌』駅は実在の恵比島駅がモデル。SLと共にブームが訪れるのは,それから数年あとのことでした。

 夕陽に染まる日本海を見下ろせる留萌の坂道と丘の上の公園,コレはもう映画の名シーンです.デートコースにもいいかも知れません。遊具で遊んでいる子供達にはこれが当たり前の光景、何とも贅沢な環境です。街中では夕食と宿泊場所を探すのに右往左往。海辺のキャンプ場ではライダーたちの酒盛りが始まろうか、という案配・・・・どうにか、空腹を満たして何となく留萌駅に戻って来たのは,最終列車が出る午後10時過ぎのことでした。

 大きな吹き抜け空間を持つ石造りの立派な駅舎、昔はここから稚内方面に羽幌線が伸びていましたが,平成と共に多くの長大路線が廃止されてしまいました。いい加減,泊る場所を探しておかないと・・・・その時,突然頑丈な駅舎がグラグラと音を立てて揺れ始めました。かなり強い地震です.震源も意外と近いかも知れません。即座に,携帯ラジオのスイッチオン、震度4の揺れでした。さらに,ここは日本海側,津波の恐れも!

 すぐさま,先程海岸でみかけたライダーたちの元へ急行しました。(つづく)

| 14:52 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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