2015年03月17日

耐用年数を過ぎて

 福井県の南部に位置する敦賀(つるが)と云えば日本海に面した静かな湾があり,近畿地方有数の海水浴場があったことを覚えています.当時父の会社の海の家が敦賀湾内にあって,夏休みを何度かここで過ごしました。お盆を過ぎてクラゲが大量に発生し、一面ゼラチンの海のようだったのが印象的。強風に流されてお気に入りのゴムボートを無人のまま日本海に流してしまったのは残念な思い出でした。
 そんな敦賀のスグ近くに原子力発電所が出来て大阪万博に電力を供給し始めたのは45年も前のこと.このたびその古〜い敦賀原発の廃炉が正式に決まりました。
 45年も前といえばカローラやサニーが最初のモデルチェンジを受けた頃.40年前の75年ならCVCCシビックがアメリカのマスキー法排ガス基準をパスして注目を浴びた頃でした。もちろんその頃のサニーもシビックも、今ではほとんど路上で見かけません。沖縄海洋博の跡地はどうなったでしょう。航空機や船舶の法定耐用年数は17年。文明国の日本国では20年も運航されることなど考えられません。

 ブルートレインとして、先週まで現役だったナハネ/オハネ24系寝台客車も70年代中盤の製造、半世紀近くも現役だった訳です。初代20系ブルートレイン「あさかぜ」のモデルチェンジ版として,当初は3段B寝台車14系としてデビューし,72年の北陸トンネル事故を機に床下にディーゼル発電機を持たない24系として生まれ変わりました。その後,二段寝台に改められた25番台が登場し,青森から鹿児島まで日本中を駆け巡るブルートレインのネットワークを築いていました。
 晩年の25系は何度目かの塗装も痛みが目立つ様になり、終焉の近さを伺わせる状況にありました。後継たる26系も僅かな増備に終わってしまい,数少ない国鉄型車両として孤軍奮闘の日々でした。青函トンネルという命綱を失うことで寝台特急の命運も尽きかねない状況です。七つ星や一部の豪華寝台列車はブルートレインと目的も用途も違い,後継と呼べる代物では有りません。
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 LLCや深夜バスが普及することでその役割を終えたと見なされる寝台車。花粉の相次ぐ襲来で外出も気後れするこの頃、もう修学旅行の様なワクワクする機会も無いんだなあ,と考えさせられる寂しい年度末です。

| 21:15 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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