2015年07月30日

MH370は?

それにしても飛行機ネタの多い今週ですが、またもや新たなニュースが飛び込んできました。昨年三月南シナ海で消息を絶ったまま多くの謎に包まれていたマレーシア航空370便ボーイング777型機。その一部ではないかと疑われる翼の一部が29日、インド洋の小島で発見されました。
フランス海外県レユニオン島の海岸で正体不明の残骸が打ち上げられているのが見つかったもので、長辺が2mもある大きなパーツです。部品ごとにナンバリングされた製造番号が判明すればマレーシア機のものかどうかすぐに判りますが、そうでなかった場合はちょっと厄介です。写真からの判断ではB777型機のフラップの一部という見方で一致しているのでマレーシア機のものである確率が高くなりますが,そうだとしたらマレーシア機はどこで姿を消し、翼はどのように流されてきたのか?

墜落したのかどうかも不明なままだったので,マレーシア機と確認されれば遭難は確定的となりますが,行方不明になった原因については依然謎のままです。事件?事故?解明の手がかりとなるかどうか・・・・・
これを端緒に複数の部品が見つかると解明に向けて大きく動き出すのですが

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2015年07月29日

最大離陸重量

 調布飛行場でおきた小型機の墜落事故。今度の事故で民家に住む全く無関係の市民が一人巻き添えで死亡したことは大きな問題です。そもそも調布飛行場周辺は住宅地が多く、滑走路周辺での緊急事態に対応できない安全マージンの少ない空港であることも見逃せません。

 さて今回の事故原因については、まだはっきりと解明されてはいません。警察の検分で焼け残ったエンジンの回収は見込めそうですが、そこから墜落前のエンジンの運転状況が推測できるのかどうか?果たしてカタログどおりの性能が正しく発揮されていたかどうかが、今回の事故に繋がった可能性もあります。

 エンジンのパワーがどれほど重要なのか?それは離陸する飛行機の重量と密接な関係があるからです。

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2015年07月28日

VWに首位譲る

 独のフォルクスワーゲン(VW)が2015年上期(1-6月)の世界販売でトヨタ自動車を上回り、首位に立ちました。リーマンショック以降、当時世界ナンバーワンだったGMを抜いて、トヨタがはじめて世界ナンバーワンの座に着いたのですが、5年と経たずに首位交替です。上期のトヨタグループ世界販売(ダイハツ工業と日野自動車含む)は前年同期比2%減の502万2000台で2万台弱の差が勝負の分かれ目でした。1%にも満たない僅差でしたが、敗因は日本国内市場にあるようです。

 VWといってもかぶと虫・ビートルは既になく、ゴルフはじめ小型大衆車が収益の柱。ダイハツの軽からレクサス、日野のトラックまで幅広い構成のトヨタとは商品構成が違い、利益率もかなり違います。台数だけなら軽自動車でも一台にカウントされるので単純な合計台数はあまり意味がありませんが、VWにとっては初の世界制覇です。では、トヨタ敗北の要因は何だったのか?

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2015年07月26日

タミヤモデラーズ・ギャラリー

,プラモデルファン待望の季節がやって来ました。池袋東武百貨店のお馴染みの場所
今年はトヨダAA型セダンの実物展示があって、ろうがんずの共通テーマも珍しくクルマとあいなりました。
早速田中穂蓄師匠の作品を探してみると・・・・・・これが何と広島カープ仕様です

Dscf8021

 広島カープの赤をフィーチャーしてフェンダーほかは黒のツートーン仕様。この塗り分けされた作例は少数派で細かいモールディングもきっちり再現されています。さすがです!
そしてナンバープレートとルーフには大きくカープの英文字が!
田中さんの広島愛がジワジワと伝わって来ませんか?Dscf8019

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2015年07月24日

地元の落胆

 震災で津波被害を受けたJR気仙沼線と大船渡線の復旧方針をめぐり、JR東日本が鉄路での復旧を断念し、バス高速輸送システム(BRT)を存続させる方針を固めたました。国土交通省で24日に開かれる沿線自治体首長会議の第2回会合で、JR東日本はこの方針を正式に示しましたが、地元側は受け入れるかどうかを年内にも開かれる次の会合で明らかにする見込みです。それまでは少なくとも鉄路復旧への作業だって進まないばかりか、このまま廃線となってしまっても不思議ではありません。
 レールでの復活は無し、ということになると地元の落胆振りが目に見えるようです。

 大船渡線も気仙沼線も三陸海岸に並行する路線で津波被害を受けてから不通となったままでした。三陸鉄道と違い、復旧への道筋はなかなかつかず、今回こうして廃止が前提の話し合いとなったことは地元の利用者の大きな失望を伴います。
 とりわけ交通弱者に数えられる高齢者、通学生らにとっては大きなショックであるに違いありません。三陸側とはいえ冬季には雪も積もります。定時運行が確保されやすい鉄道とタイヤの摩擦力が頼みのバス輸送ではやはり埋められぬ大きな開きがあるものです。 

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2015年07月23日

油井さん到着

 ソユーズロケットで宇宙に旅立った油井宇宙飛行士ですが、打ち上げから6時間と経たないうちに国際宇宙ステーションにドッキングです。ハッチを開けて新居にお邪魔できるまであとわずか。少年の頃からの夢の実現が四十年越しで叶う瞬間です。油井少年が宇宙飛行士を志したのは少年時代のこと、当時のスペースシャトル打ち上げの模様を見ていて子供ごころに宇宙飛行士を目指したとか。学業を終えて選んだ仕事はアメリカの宇宙飛行士がそうであったようにテストパイロットへの道、航空自衛隊に進みパイロットをめざします。
 やがて由井青年は家庭を持ち、ある日のこと妻が目にしたjaxa(当時のNASDA)の宇宙飛行士募集の情報。ゆい少年の長年の夢はついに具体化へ、の道を辿る事になりました。日本人宇宙飛行士としては10人目、パイロット出身では初めてというのがちょっと意外な事実です。
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 これから五ヶ月間の長きに渡り国際宇宙ステーションで活動する由井宇宙飛行士の活躍に期待したいものです。

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2015年07月22日

The first step

 話は再びアポロ11号に戻ります。月面着陸から6時間後、月面活動の様々な準備、チェックリストをクリアした2人の宇宙飛行士は月着陸船"イーグル"の正面の四角いハッチを開いて相次いで船外に出でゆきます。5億人ものテレビ視聴者がこの瞬間を遥か地球のお茶の間で見つめていたとされています。
 着陸船から梯子をゆっくりと降り、一番したのまあるいPadに足をそろえたアームストロング船長、その次に左足が触れたのは、まだ人類が一度も触れたことの無い月面の地表でした。これが、あの有名なフレーズに表された・・・・・・人類の大きな一歩だったのです。
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 二時間半にわたる月面での活動は岩石の採取、写真の撮影、星条旗の掲揚・・・・そして着陸船の脚には"西暦1969年7月地球という天体から来た男たちが月面に最初の足跡を記す"と書かれたプレートとアポロ1号の発射リハーサル中火災事故で犠牲となった三名の名前を称えるパッチが残されました。

 1970年大阪万国博覧会、東京ドームみたいな形のアメリカ館で、随一の人気は次にアポロ12号(1969)が持ち帰った月の石そのものでした。ガラスケースの中でスポットライトを浴びる、溶岩石のようにもコークスのようにも見えるメタリックグレイのゴツゴツした小石ほどの岩石が、羨望の的。炎天下8時間も並んで入館を待つ人が絶えなかったほどでした。六千万人という総入場者数のうち何人がアメリカ館を訪れたかは定かではありませんが、少なく見積もっても数千万人の日本人が目にしたのではないでしょうか・・・・・

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2015年07月21日

まもなく発射台へ

 宇宙飛行士・油井亀美也(ゆいきみ や)さんを載せて宇宙に向かうロシアのソユーズロケットが20日、発射台に移動しました。打ち上げは23日、今ではカザフスタン共和国となったバイコヌール宇宙基地からの出発です。

 組立て塔から立ったままの姿勢で移動するアポロ/サターン型ロケットとは違いソユーズのこのタイプのロケットは発射台までの7kmあまりを列車で移動します。姿勢ももちろん寝かせたまま・・米露でこれほどまでにやり方が違うか・・・と思うくらい対照的です。違いは他にも・・・・今回のソユーズは高さ50mほど、アポロを搭載したサターンⅤ型の100mとは大きな違いですがあちらは月までの38万キロ、今回はせいぜい上空400kmの地球周回軌道までです。月着陸船も未搭載です。

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2015年07月20日

・・・to the MOON

 1969年7月、打ち上げ後20万マイルの道のりを月に向かって飛び続けるアポロ司令船、その窓から見える月の大きさは刻々と大きくなり、月の周回軌道に達しようとしていました。ここで何もしないとそのまま月をかすめて素通りしてしまいます。所定の場所に着いたら機械船のエンジンを6分間ブレーキ代わりに噴射して一気にスピードを落とします。膨大な量のチェックリストは既に確認済み。いよいよ月に降りる二名のパイロットたちが着陸船に移動します。

 船外活動用の宇宙服、記録用のカメラと滞在分の宇宙食、必要なものを月着陸船に搭載して、ただ一人司令船に残る、コリンズ飛行士は電気関係のプラグをはずし、慎重に二つの船体のハッチを閉めます。ここからはそれぞれが単独飛行、再びドッキングして地球に向かうまで月の表面から60マイル上空を回り続けます。もしも降下中の2人に何かが起きたら・・・・・たぶん裏プログラムも用意されてはいたはずですが、陽の目を観ずに終わっています。
 司令船の窓からは逆立ちしたような姿勢の月着陸船が月の上空を漂っているのが見えます。機体を保護する金色のアルミ蒸着シートが太陽光を受けてきらきらと輝くのが見えています。「サバイバル・シート」や「レスキュー・シート」の名でアウトドアショップでも購入できるあの薄いフィルムです・・・・

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2015年07月19日

ランデブーのあとは・・・・

 アポロが月面に到達した1969年のNASAは大忙し。前年の暮れにはアポロ8号で人類初の月周回軌道投入を成功させたのもつかの間、9号では月着陸船の分離、単独飛行テスト。発射台には打ち上げ間近の10号、組立て塔には次の11号、そして12号の部品が組立て塔の手前でスタンバイ中という混雑振りでした。そして月着陸の二ヶ月前、アポロ10号では着陸より手前のすべての段階をテストする最終リハーサルがプログラムされていました。10号も11号も装備は同一。もしも機会を捉えられたら着陸まで行っちゃおう!という目論見でしたが、予定通り着陸は11号の仕事となりました。

 もっとも最初から月着陸を目指すアポロが完成していた訳ではなく、月着陸に必要な技術を開発するためのジェミニ計画というプログラムがありました。ジェミニ(ふたご座)の名前の通り二人乗りの宇宙船で、相次ぐ二機が示し合わせた地点に集合するランデブー飛行、異なる二つの宇宙船がドッキングする技術、そして宇宙服を着た人間が気圧ゼロの宇宙空間に飛び出して活動する宇宙遊泳では生命維持装置や冷却装置を完備した宇宙服の開発が求められました。Dsc01082

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