2011年05月28日

「他人(ひと)に言いたくなる話」⑧  改題

          「鉄道の線路と道路が交差する踏切内は誰の土地?」

  これまで「あんなこと こんなこと」というタイトルでお送りしてきたこのコーナー。
   今回から「他人(ひと)に言いたくなる話」と改題してお送りします。
  このコーナーをご覧になった方が思わず他人(ひと)に言いたくなる話を
         これからも集めてご紹介しますので今後とも宜しくお願いいたします。

  さて、線路と道路が交差する踏切内は誰の土地か。
   考えたこともないと思いますが、JR各社に取材したところ、
      JR線と交差する踏切内は全て道路の所有者のものだそうです。
            国道なら国のもの、私有地なら個人のもの、というわけです。

               

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2011年05月21日

「あんなこと こんなこと」⑦ 

            「オタマジャクシとは?」

   形が丸くて柄のついた杓子を「オタマジャクシ(御玉杓子)」、
                    あるいは「お玉」と言います。
    しかし、元々は「オタガジャクシ」といいます。
   滋賀県の多賀神社にお参りした人にお守りとして出されたのが
               今で言う所の「オタマジャクシ」です。
    ですから本来は「御玉杓子」ではなく
          「御多賀杓子」(オタガジャクシ)なのです。


  

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2011年05月14日

「あんなこと こんなこと」⑥

                「2番目の『君が代』の歌詞」
 前回紹介しましたように『君が代』は3つあり、今の『君が代』は2つ目のものです。
   その2年後文部省の作ったのが3つめ目の『君が代』です。
  曲は外国のものを使用したため詞が足りず、付け加えています。
       そして2番まであるといういい加減なものです。
  滅多にお目にかかれないその歌詞を紹介します。


    1・君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
      動きなく 常磐堅磐に 限りもあらじ

    2・君が代は 千尋の底の さざれ石の 鵜のいる磯と あらわるるまで
      限りなき 御代の栄えを 祝ぎ奉る

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2011年05月06日

「あんなこと こんなこと」⑤

        「今の君が代は2番目に作られた曲」

  君が代は実は3つあったのです。
         各方面を取材して分かった話を紹介します。

  長い鎖国から明けたばかりの明治2年。
            イギリスの皇太子が来日することになりました。
  国際儀礼上、両国の国歌を演奏して迎えなければなりません。
   イギリスには勿論国歌はありましたが、国際的慣習に疎い当時の日本には
              国歌はおろか音楽隊さえありません。
 
 そこで急遽作られたのが最初の君が代です。
  作曲者は、当時横浜に駐留していたイギリス海軍軍楽隊長の
                   ジョン・ウィリアム・フェントン。
  詞は現在の君が代と同じ古今和歌集の詠み人知らずの和歌が使われています。
     そしてフェントン主導で薩摩藩音楽隊も編成されました。
 この楽譜が海上自衛隊東京音楽隊に残っており、演奏してもらいましたが、
  きれいな旋律と言えなくもないのですが、音符がただ上下するだけの
                    とても国歌とは言えないものです。

| 08:34 | コメント(3) | カテゴリー:比嘉憲雄

2011年04月30日

「あんなこと こんなこと」④

         「華厳の滝を登った魚の話」
 

  今週はがらっと話を変えて日光の華厳の滝を
          滝壺から天辺まで登った魚の話です。
                 さあ、この魚はなんだと思いますか。

 まず頭に浮かぶのは「鯉の滝登り」という言葉から鯉ではないかと
                     思われた方も多いと思います。

  華厳の滝は高さ97メートル程ですから、
       いくら鯉が飛び跳ねるといっても97メートルは無理です。

 
 

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2011年04月23日

「あんなこと こんなこと」③

          「皇居 宮殿」その②

   先週は宮殿南車寄せの黒御影の階段を上った所まで紹介しました。
          今日は宮殿内の広間について。
 東山魁夷画伯の巨大な絵「曙」の後ろに当たるのが「春秋の間」です。
  ここは広さが608平方メートルあります。
 勲章や褒章受章者の拝謁などの場として使われる所です。
 

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2011年04月16日

「あんなこと こんなこと」②

           「皇居 宮殿」その①

今週も先週に続いて皇居、それも宮殿の中について。
 私が宮殿を取材で訪れたのは2回です。
    あまり一般の目に触れることのない場所ですので、
             私が見た宮殿内のいくつかを紹介しましよう。
 宮殿は地上2階、地下1階、総面積1万2169平方メートルです。
  一般参賀の際、天皇陛下がお言葉を述べられるのは長和殿のベランダです。
 そして一般参賀者から見て一番左側に入口である南車寄せがあります。
  私もそこから入りました。
    中に入りますとまず目に飛び込んでくるのが
      幅5~6メートルか7~8メートルの大変立派な階段です。
 黒御影で鏡のように磨きあげられた見事な階段です。
   そこを訪れる事になった女性は、
         ミニスカートはまずおやめになった方がいいでしょう。
 それはさておき、この階段の右下にトイレがあります。
   私は有り余る好奇心の持ち主ですので、
             催してもいないのにトイレに入りました。
 

| 06:35 | コメント(3) | カテゴリー:比嘉憲雄

2011年04月09日

「あんなこと こんなこと」①

 初めまして、J-WAVEニュースルームの比嘉と申します。
永い事この業界にいて、これまであらゆるジャンルの人と会いました。
             又、様々な取材を重ねてきました。
 そこで知り得たあまり世に知られていないことなどを
  「あんなことこんなこと」と題して
    週1回のペースでご紹介していこうと思っております。
      1回目は「皇居はやはり江戸城だった」

 何を馬鹿なことを言ってるんだ、
    当たり前じゃないかと言われそうですね。
                    その通りです。
 しかし、この皇居の中には、あまり知られていないことですが、
  今でも徳川将軍が愛した盆栽があるのです。
 私が見たのは大河ドラマの主人公「お江」の夫となる
   2代将軍徳川秀忠(1579年~1632年)の愛した盆栽、
       そしてその子3代将軍家光のもの、
  それに確か5代将軍綱吉、8代将軍吉宗の愛した盆栽が
                    あったと記憶しています。
     残念ながら徳川家康の盆栽はありませんでした。
  連綿と続く手入れの行き届いた古木の盆栽を見ると、
      盆栽に関しては門外漢の私でも
               その佇まい、威厳に圧倒されます。

| 06:27 | コメント(5) | カテゴリー:比嘉憲雄


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