2023年04月13日
Mary quant
1960年代イギリス発で世界を席巻したムーブメントと言えばビートルズにミニスカートに自動車のミニ
そのどれもが今日も絶大な支持を得ておることはもはや書くまでもないけど、少なくともミニスカが大好きな御仁達はマリークワント女史の名前に敬意を払い感謝するべきだろう。
そのクワント女史の訃報が伝えられました。つい先日まで渋谷の文化村ではマリークワント展が催されたばかり。追悼の意を込めて以下に再掲します。
服飾デザイナーのクワントが丈の短いミニスカートを発表したのは1960のNY
そこから日本中がツイッギーを真似て老いも若きも女子がミニスカを買い漁り始めた1967までは7年のタイムラグがあった。
発表イコール大ブームという訳ではなかったらしい。メディアに取り上げられた写真が注目を浴び、クワント女史が自ら叙勲の場にジャージー素材のミニワンピで臨んだこともエポックメイキングな出来事として印象づけられている。
それが1967年を境に日本にミニスカが浸透するのには1年とかからず、大阪万博のコンパニオン制服は判で押したようにミニ・ワンピ。JALのCA制服もミニ丈に改められ、アイドル歌手は小柳ルミ子と言えどもミニを拒めなかったばかりか美空ひばりまでもが波に乗った。
ところがクワントが1970年に発表したマキシスカートが日本に上陸した1974年、女子たちは手のひらを返した如くデニム生地のマキシを買い漁るのである。
ミニスカと前後して69年にはパンタロンルック、のちにジーンズ文化も定着して女性のパンツ姿は70年代一気にシェアを広げたのだった。
マリークワントのポリシーは女性美を包み隠そうとしないこと.大胆さへの挑戦、それに新素材の採用だった。
ミニスカートが生まれるまでの過程・・・
それは、エプロンドレスの丈を徐々に短くしていった末に生まれたとか。この発明なしには1995年以降日本の女子高生のスカート丈が下校時間ともなればウェストの折り返しで一段も2段も短くなる現象は起こらなかったかもしれないし、セーラームーンのヒットもずっと後のことになっていたのかも?
旧式な下着はシルエットに響くからとジャージー素材を取り入れたファンデーションを開発したのも彼女。ミニと共通するのは着心地の良さだった。
こうして彼女のビジネスは世界中で大成功を収める。その一翼を担うのはジェット旅客機による大西洋横断NY路線の開設だった。北米やオーストラリアにもビジネスを広げて生産を拡大する商法はアパレルビジネスの革命児たるゆえんかも
ミニスカートの発明者として語られることの多い女史だが実はファッションビジネスに多大な変革をもたらした、革命家でもあった。ということがよくわかった展覧会でした。
マリー・クワント展~2023/1/29(日)
Bunkamura ザ・ミュージアム
10:00-18:00(入館は17:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)