2022年04月13日
V12のR382
亡くなった高橋国光さんを悼む特別展示でR 382が公開されています。
プリンスR380から始まったレーシングスポーツのある意味最終ウェポン、スカGの伝説の集大成とも言うべき一台かも知れません。
テレビの(F1では無い)日本グランプリ中継を食い入る様に見つめていた1969年の覇者。日産モータースポーツの最初の黄金期を飾る存在でした。
歴史を遡ればポルシェに勝てなかったスカG、S54Bの後に生まれた本格スポーツカーのR380、日産と合併して特徴的な独立式リアウィングを印象付けたR 381の系譜に繋がります。
381ではシボレーのV8エンジンをチューンしていたのが、この382では6気筒ツインカムを二本並べた様なV 12。しかもホンダのそれより倍以上はあろうかと言う5リッターで、当時のレーシングエンジンとしては稀有な存在でした。
この一連のマシンを駆った1人が四輪に転向した元GPライダーの高橋国光選手だった、と言う訳です。日本グランプリ参戦は382が最後となってしまったもののツーリングカーレースのカテゴリーではハコスカこと初代のGTーRが連勝記録を更新中、ここにもクニさんが乗っていたものです。
日産がワークスとしての参戦を続けていたらケンメリGTーRの活躍も脚光を浴びた事でしょう!でも...
当時のメーカー各社は排気ガス規制の対応におおわらわで、おまけにオイルショックと辛い時代を迎えます。
ハコスカや382が駆け巡った富士の名物高速コーナー30度バンクも廃止され、モータースポーツ冬の時代は続きました。
そんな長い冬にもピリオドが打たれる時がやって来ます。スカイラインにGTーRが復活、当然レースでの必勝を期しての復帰です。勿論クニさんもGTーRのハンドルを握ります。
R32GTーRの活躍は敢えて記すまでもありません。日産本社のショールームにはケンメリとR32も顔を揃えています。
2期に跨り日産のモータースポーツを牽引したクニさん、いや日本のモータースポーツの牽引役でもありました。過日クニさんには『旭日小綬章』が授与されることが決定しています。
彼方の表彰台で照れ臭そうに勲章を受けるクニさんの笑顔が浮かんで来そうです...