2022年02月25日
43年前の蛮行ふたたび
ロシアが真だソビエト連邦とよばれていた頃,バリバリの社会主義国家で,その素顔は鉄のカーテンに遮られていました。
今回のウクライナ侵攻でまず思い出されるのが1979年のアフガニスタン侵攻です。撤退するまでの10年間,結局ソビエトの思惑以上に長びいた闘いは想像以上の弊害をもたらすことになるのでした。
その顕著な一例が1980年にモスクワで予定されたオリンピックのボイコット問題.西側諸国は日本も含め,選手団を一切送らず、山下康裕選手をはじめ、4年後のロス五輪まで活躍の場を奪われたのでした。
冷戦の犠牲となったのは航空機の一般乗客も同様。韓国ソウルに向っていた大韓航空007便がソビエト軍の砲撃を受けて墜落,乗員乗客全員が死亡すると言ういたましい事件が起こっても,クレムリンの鉄のカーテンの向こうからは謝罪の言葉ひとつ聞こえて来ません。
そんなソビエトの風向きがかわったのはブウレジネフ/アンドロポフの跡を継いで書記長に就いたゴルバチョフの改革開放路線から。80年代も終わりに近づくと東欧諸国が軒並み民主化を実現するなか、クレムリンの求心力も低下を続け,遂にはソビエト連邦の崩壊を招いてしまいます。
新生ロシアがエリツィン、プーチンの手に依り強国の威厳を取り戻せたのは、天然資源で外貨を獲得できる様になった事も無縁ではありません。そのロシアがふたたびプーチンの手に依りウクライナ侵攻と言う蛮行に打ってでたのですから、また80年代の10年間をくりかえしたとしても不思議はありません。プーチンのロシアはたとえ国内的な支持は得られても国際的な信用を失い、モスクワ五輪ボイコットの二の舞の様な立場に置かれるでしょう。モスクワの次のロス五輪をソ連がボイコットしたように、パリ五輪にロシア選手団の姿を見つけられますかどうか?その前に,ワールドカップ予選でロシア対ウクライナの試合が挙行されるのかどうか?(既に様々な国際試合で対ロシア戦のボイコットやロシアで開催の国際競技の見合わせが議論されています)
国際社会で今後ロシアがどのような立場に置かれるのか?ウクライナへの侵攻はいつ、どのような形で終焉するのか?
オミクロン株の行く末はともかく、まだまだ,想像のつかないニュースが続きそうです・・・・・