2021年11月28日

sir Williams

昭和の終わりから平成にかけて、F1コンストラクター、ウィリアムズとマクラーレンの激闘の舞台裏には常にホンダパワーがありました。href="https://ec02.air-nifty.com/photos/uncategorized/cceb8885b8dc44d3b24336bffd7da2b1.jpeg" target="_blank" rel="noopener">Cceb8885b8dc44d3b24336bffd7da2b1

80年代、ホンダターボパワーが初めてF1を制した時のパートナーはマクラーレンではなくウィリアムズでした。セナがホンダ・エンジンと共にマクラーレンのマシンを駆るようになった後も常にライバルとして立ちはだかっていたのはウィリアムズのマシン。92年モナコの激闘に代表されるように、ルノー・パワーを得たウィリアムズFW14Bは最強マシンとして90年代に君臨します。

マンセル、クルサード、デーモンヒル、ジャックビルヌーブと言った戦士達にタイトルを獲得させて黄金時代を迎えるウィリアムズ、セナが最後に所属したのもこのチームでした。

今世紀に入って優勝争いからは遠ざかった感もありますが名門の歴史は少しも揺るぐことはありません。そんなチームの創設者フランクウィリアムズ氏が亡くなったと言うニュースが飛び込んできたのはホンダがF1の表舞台から去り行こうとしているこのシーズンの終わりも迫ったタイミング.

闘将と言う名に相応しいレース展開はいつも我々ファンをドキドキさせてくれました。
自らのドライブ・ミスでクルマ椅子が手放せなくなった後も車いすの闘将として輝きを放ち続ける姿はハンディを感じさせない情熱を見せつけるものでした。
もし再びホンダエンジンとタッグを組んでいたら、どんなレースを見せていたのか?それももう叶わぬ夢になってしまいました。

闘将フランクウィリアムズ氏
享年79
向こうへ行ったらセナたちとどんな挨拶を交わしていることか?
安らかにお眠りを!

| 23:23 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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