2017年06月05日
開局前夜・1987
今から30年前、JWAVE開局を翌年に控えた1987年は、やがて来る平成時代に向けて様々な変化が起きました。この4月、国鉄は長い国有の歴史にピリオドを打ち民営鉄道会社「JR」として生まれ変わりました。といっても車両にJRのステッカーが貼られたぐらいで駅員のサ―ビスが若干向上したかな?という変化はあった程度。それまで通用していた国電に代わってE電とする呼び名は30年後も未だに定着した形跡は見当たりません。
前年のプラザ合意以降、急速に進んだ円高は年初から170円台、150円台と次々に節目の壁を突破して輸出に依存する日本の中小企業は全滅する、と騒がれたものでした。地上げと呼ばれる土地転がしが顕著になったのもこの頃。都心にあった古い建物物件はことごとく破壊され、更地が転売を繰り返す土地バブルが顕になったものです。
クルマの業界ではクラウン、カローラ、セドリック、ブルーバード、シビック、プレリュード、カペラといった各社の人気車種が一斉にモデルチェンジの時期を迎え、晴海会場で行われた最後の東京モーター・ショーにも華を添えています。この年の話題車種は何と言っても日産のパイクカー第1弾「Beー1」でした。限定2万台で発売されるや、中古市場には新車価格を上回る価格で新規登録車が並び、それでも飛ぶように売れていったものです。大切に愛用しているオーナーは今だに少なからず、その後もパオやフィガロといったパイク・カーが人気をさらい、伝説の車となっています。
置時計のような大きなスピードメーターと小ぶりなタコメーター、ホーン・リングからエア・ヴェント(吹き出し口)に至るまで丸型デザインが反復されたデザイン性の高さも然ることながら、懐かしさ、優しさ、シンプル、レトロといった斬新なテーマが広く受け入れられた傑作デザインでした。
そしてこのショーで発表されたもうひとつの節目が「シーマ」。翌年からのバブル景気も相まって流行語になるほどのヒット商品となりました。長いテールをグッと沈みこませる豪快な加速シーンは語り草でした・・・・・
この年モデルチェンジを受けたY32系セドリックは当初5ナンバーサイズで,営業仕様はタクシーとして日本中に普及しました。そして、ほかのセドリックが3ナンバー化し、FUGAと名前を変えたあともタクシー仕様だけは改良を重ね、昭和の命脈を保っていましたが、惜しいことに2014年で販売が終了してしまいました。今でも街中でたまに見かけるセドリックタクシーはそう言う意味でとても希少な価値を持つ逸品なのです。その乗り心地を噛み締めながら記憶に留めておきましょう