2017年04月16日

motorsportJAPAN

この週末にお台場ではモータースポーツジャパン2017が開催されました。高度成長期からバブル時代まで、モータースポーツといえば時代の花形でした。今では環境重視の時代、それに趣味の多様化や少子化も手伝ってモータースポーツを取り巻く環境も大きく変わってきました。
所詮、事業そのもので収益を出せる部門ではなく広報の一環、メーカーのイメージ高揚のための参加が多く費用対効果を算定、評価するのはとても困難です。しかし、かつてはモータースポーツが営業面でとても重要視されたことがありました。

時は鈴鹿サーキットが完成して間もない昭和の中頃、レース結果がその車の人気だけでなく販売成績をも大きく左右する、そんな時代の話です。
スカイラインが伝説を生んだ昭和39年の日本グランプリ、前年のプリンス・グロリア(初代)が惨敗に終わり販売成績で大差をつけられたことが物語の発端でした。もっと小型の2代目スカイラインS50系にグロリアの大きくパワフルな6気筒2000ccエンジンさえ載せれば・・・・優勝は至上命令、勝つための手段は選り好みしていられない状況です。
この無茶とも言える構想が具現化し、規定をクリアする100台が生産されたのがスカGの最初の姿。本番のレースでは刺客として急遽送り込まれたポルシェのレーシングカーを相手に互角以上の戦いを見せつけ、一時はトップを奪う快走ぶりを見せる・・・・・優勝こそ逃したものの価値ある2位は今日に至るスカG伝説の土台を築きました。
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スカイライン2000GTと呼ばれた最初のスポーティー・セダン、モータースポーツがメーカーの大切な販売ツールとして重用されていた時代のカリスマでした。

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参考までに当時カリスマ的レーサーといえば浮谷東次郎の名前を忘れるわけにはいきません。残された名著「がむしゃら1500km」や「俺様の宝石さ」をはじめ、ライフ・スタイルでも若者たちに大きな影響を与えた天才ドライバーの愛車がトヨタスポーツ800でした。
練習中の不幸な事故で夭逝してしまいましたが、生きていればモータースポーツにどれほどの足跡を残していたか・・・・・今となっては知る術もありませんが・・・・・・IMG_6220.JPG

| 21:32 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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