2016年08月15日
昭和シングルs
1945年8月、長崎に新型爆弾が落とされてから一週間もたたないこの日は、小学校の招集日でした。松の樹皮を傷つけてこぼれ出た樹液(=松根油/しょうこんゆ)を航空燃料として使います。小学生たちは夏休み中もこの作業に駆り出され、15日はちょうど作業のための登校日にあたっていました。その日は朝からラジオで、お昼から天皇陛下の重大なお話がある、と何度も繰り返し放送されていて、伝達漏れがないよう近所の家庭にもお知らせする必要がありました。正午前にはラジオ受信機の前で多くの住民が放送開始を待ち構えています。
小学校でも正午を期して、天皇陛下の放送がはじまりました。大人たちは戦争に負けたから泣いているらしい、とは思ったものの子供達には正確な意味が分かりません。放送が終わって教室に集まると担任の先生が黒板にチョークで大きくこう書きました。
負けるはずのない日本が降伏した、それも無条件降伏したという衝撃的事実。クラスのみんなは声を出して泣いていました。日本が負けた、というよりも無条件に降伏したことに対する悔しさ、悲しみ、敵国への憤り、日本の将来への不安、様々な感情が渦巻いていました。
これは、あの日小学6年生の夏を迎えていた71年前の母の話です。こののち、それまで教えられていた道徳、常識、教育方針、あらゆることが根底から否定されてしまいます。幼な心に植え付けられてきた事柄があっという間に上書きされてしまう、子供のうちにあらゆる価値観の大転換を迫られたのがこの日を小学生で迎えた、昭和ひとケタと呼ばれる世代です。昨日まで教えられたことがすべて否定されてしまい、新しい価値観を植え付けられるという激動の時代の中を生き抜いてきた「ショーワひとけた」。高度成長期と呼ばれる戦後の日本の復興期に大きな役割をはたしてきたことは今更いうまでもありません。そんな親たちの問わず語りのエピソードを聴ける世代もおそらく我々あたりが最後の部類。すでに永六輔さん、大橋巨泉さんも、坂上二郎さんも亡く、元気な同年代にもまして、鬼籍に名を連ねていくひとケタ世代も増えています。いま一度こうした貴重な体験をアーカイブとして残しておくべきラストチャンスなのかもしれません。