2015年02月19日
北海道の夜行列車
JRが日本国有鉄道だったころ、北海道にはいくつもの夜行・急行列車が走っていました。今や希少な客車列車も多く、広大な北海道を夜間に無駄なく移動するにはうってつけ。おまけに旧型の客車を使った編成もあり、今や垂涎もののお宝列車が走っていたものです。
(写真はイメージです) ・・・宵に札幌を出て網走方面を目指す急行の大雪七号にに乗ったのはドラマ、北の国からが放送されて間もない頃でした。編成は10系寝台客車を中心に旧式な40系客車や荷物車も組み込んだ「豪華」な編成、後の寝台列車は全てブルートレインばかりとなってしまったので貴重な思い出です。スハ43系のクラシカルな木目の内装は欧州っぽい雰囲気でもあり、黄色っぽい蛍光灯のランプも旅情を駆り立てます。
冷房はありませんが秋口の北海道では早くも暖房装置が活躍。真っ暗な鉄路を一路旭川方面へと向かいます。車窓の景色は皆無といっていいほど真っ暗、晴れていれば星空も望めたでしょうが、それも叶わず、まだ炭鉱が現役だった頃の砂川あたりを通過してゆきます。明け方近くになって遠軽に到着、列車はここで向きを変えるため機関車を付け替えます。何故ここが折り返し点なのかというと・・・・実は旭川~遠軽間は比較的新しい路線で、それまでは名寄からオホーツク海沿いの路線が先に伸びており、美幌や北見へ繋がっていました。そこにあとから石北本線が完成し、遠軽駅に南からアプローチ、といった経緯なのでしょう。
夜汽車は早朝の美幌に到着、ここで今はなき相生線に乗り換えです。(廃止となったのはそれから3年余りあとのこと)本来ならば南に延伸して白糠線とつながり、釧網本線と並行する南北を縦貫するルートになり得たでしょうが、結局それもかないませんでした。
始発後まもない列車は学生たちに囲まれることもありません。まだキハ22系・52系全盛の時代。床下の二機のディーゼルエンジンが唸りを上げ、二重窓だから白く曇ることもなく、冷たい冷気の中を一路終着の北見相生駅に向かいます。そこからは路線バスに乗り換えていかにも北海道な景色の北海道道122号をドライブします。緩やかな起伏の丘が続く草原には放牧された黒い牛や茶色の牛、もう日本離れした光景です。フランスかスイスの田舎でもドライブしている気分。バスはクッシーで有名になった一大観光地、屈斜路湖に到着しました。