2014年08月04日
昭和の名車・パブリカ(UP10)
昭和30年代、テレビ各局の開局ブーム、東京タワー、ビジネス特急電車、新幹線計画と実現。インフラ整備はどんどん進むもののマイカー時代の到来にはまだ程遠く、法人需要や営業車を中心にトヨタのクルマは成功を収めてはいましたが,大衆に受け入れられるクルマの開発が急務でした.まだまだ家庭にTVも充分に普及していないこの頃、マイカーはやはり高嶺の花、価格を下げても手に入れられるのはごく一握りの層でした。
トヨタが開発した大衆車はパブリックカーをもじった「パブリカ」今なら軽自動車並みの700ccエンジンはシトロエンの人気者2馬力(2CV)と同じく空冷で2気筒のボクサーエンジン。車両価格も30万円台と軽自動車とほぼ互角のプライスゾーンにありましたが,トヨタが思うような売り上げは達成出来ませんでした。
売れない原因はどこにあるのか?様々な試行錯誤が重ねられて、安いクラスのクルマなのに上級の他車にはない、コンバーチブルが加えられたのもそんな一環からでしょうか?のちにはスチール製の取り外し可能な屋根「ハードトップ」を装備した「デタッチャブル・ハードトッップ」も発売して、日本は空前のハードトップブームに染まってゆきます。
トヨタはパブリカである教訓を学びました.価格が安いだけで,クルマは売れない。価格以上の品質感、車格と云うものが感じられなければ購買層はは振り向かない・・・・これを実践したのが,のちに日本車の10台に1台を占めるまでになった大ヒット,カローラの成功へとつながります。