2009年07月26日
祝!フジドリームエアラインズ
国内の航空路線にまた新たな新規参入が
加わりました。
その名は「フジドリームエアラインズ」!!!
使用機のブラジル製・エンブラエル170が
今月23日、6月に開港したばかりの
富士山静岡空港から小松、熊本、鹿児島へと
飛び立っていきました。
フジドリームエアラインズは、静岡市の
物流会社「鈴与」が設立した航空会社で、
当面は赤と青に塗られたエンブラエル170
2機を使用して、富士山静岡空港を拠点に
小松空港を1日2往復、熊本空港と鹿児島空港を
1日1往復します。
いずれのルートも大手航空会社との競争を避ける
ルートですが、厳しい経済環境の中での旅立ちだけに、
ただただ今後の発展を祈るばかりです。
胴体全体を単色のカラーで塗装するというのは、
日本国内では珍しいケースですが、海外の航空会社
ではいくつかケースがあります。
その代表は、かつてアメリカ国内で一世を風靡した
ブラニフ航空でしょう。
1928年から1982年の間、営業活動を行っていた
航空会社です。
1960年代、この航空会社は画期的なことを行います。
それまで旅客機の胴体は夏場の客室内の温度の上昇を
防ぐことや、万が一墜落した時の発見を容易にすること
などの目的で上半分を真っ白く塗っていました。
上半分は白、下半分は無塗装のジュラルミンのまま
というのが常識でした。
ところが、ブラニフ航空は1965年にコンチネンタル航空の
副社長だったハーディング・ローレンスを迎え入れると
次々と新機軸を打ち出します。
まず行ったのは、当時、アメリカ国内で売れっ子の
商業デザイナーであり、広告代理店の役員であった
メアリー・ウエルズを重役に起用します。
するとメアリーさんは、ブラニフ航空の所有機を全て
ベージュやオレンジ、ターコイズブルーやレモンイエロー
といった塗装にするよう指示を出しました。
旅客機の胴体全体をこうしたカラーの単色で
塗りまくったのです。
その数は15種類にも及びました。
やがて、アメリカ中の空港に胴体をオレンジやブルー、
に塗装した旅客機が溢れるようになりました。
この効果は絶大でした。
瞬く間にブラニフ航空の名前はアメリカ国内ばかりでなく
世界中に知れ渡るようになりました。
まさにブルーインパルスならぬメアリーインパルスとも
言えるこのデザイン革命は、世界中の航空会社に
大きな衝撃を与えました。
ブラニフ航空に始まったカラー革命は、やがて世界中の
航空会社に広がり、現在のような百花繚乱の旅客機の
時代を生む魁となったのです。
フジドリームエアラインズでは、3号機以降にも別の
カラーを塗装する計画のようですが、果たして何色に
なるのか注目されるところです。