2024年04月27日
(Kanrin-maru Memorial Ceremony)
咸臨丸といえば日本時間の誰もが知っている有名な船名の一つ
最後には北海道木古内沖で座礁、沈没しますが使節を乗せて太平洋を横断、日本開国の歴史に大きなマイルストーンを築いたことはあまりに有名です。
そんな咸臨丸が当時の幕府に納入されたのは1857年のこと。幕府が蒸気機関車よりも早い段階でスチームエンジン付きの本格・西洋式帆船を所有していたことも驚きですが、もし咸臨丸が存在しなかったら日本の歴史も違っていたのかも?
その咸臨丸のゆかりの地では咸臨丸フェスティバル式典が開催中です。
1869年に薩長軍の所有となった咸臨丸は浦賀で修理を施され、北海道開拓団の輸送船として活躍します。
北海道の近代史にも大きな足跡を残していました。
その咸臨丸、乗組員の子孫は今でも子孫の会を組織しており咸臨丸やその歴史に関心をもち、会の活動に賛同する人々を「特別会員」として会員数も200名に増加。正会員が約7割で咸臨丸ゆかりの地の訪問、関連の催しへの参加・協力、講演会活動、関係資料の発掘・収集などを行っているそうです。
2019年には勝海舟の記念館がオープンしました。正確にいうと約90年前に建てられた勝所蔵の資料などを収めた旧清明文庫のリニューアルです。大田区に移譲され、国の登録有形文化財にもなっています。