2023年07月06日

expo2025

2025大阪関西万博から8時間の行列が消える??いや、そもそも人気のパビリオンが存在しない危機??

1970年大阪万博の人気ナンバーワンを競ったアメリカ館では月(からとってきた)石が人気の的に
憧れの大阪万博、日本時間の大半が初めて動く歩道を体験し、ダイハツの電気自動車が走り回ったあの会場。
当時のパンフレットを眺めていてもあの頃の興奮を思い出します。
夏休みの炎天下、入場を待つ行列が8時間を突破したこともあった。一方のソ連館ではそこ迄並ばなくとも入場できたが、パビリオンの高さではナンバーワンを誇っていた。
コンパニオンという聞き慣れない職業のお姉さんたちが押し並べてミニスカの制服で、やたらとローアングルから狙った写真が多かったのも時代なら、ケンタッキーフライドチキンを日本で初めて食べる機会に恵まれたのもここ。

当時の日本の家庭にはようやくカラーテレビが普及し出した頃、カラーテレビのCMをカラーで放送してもなあ・・・・と思いつつ眺めていたCMもほとんどがカラー化。新聞のテレビ欄からも間も無くカラー放送のアイコンは消えました。
女子の体操服がちょうちんブルマーからピッタリした紺のブルマに変わったのもこの頃。学校ではスカートめくりが流行っていて少年チャンピオン連載のハレンチ学園はテレビドラマ化されるほどの人気コンテンツでした。
そんな70年代にあって万博で紹介される海外や大手企業のプレゼンテーションは目を見張るものばかり・・・・・
アトラクションやシアターを待ち侘びる長蛇の列ができたのも不思議なことではありませんでした。
いったい何故expo70がかくも魅力的だったのか?
それは先端技術を争うテクノロジーのオリンピックだったことに加えて日本を海外の国にアピールする絶好のショーケースでっもあったから。
海外旅行の自由化と外貨持ち出し制限の緩和、包括旅行運賃のバラ売りによる航空機運賃の価格破壊、と日本人が海外へ大挙して出かけるタイミングが重なったことも幸運でした。数年後にはカメラを首から下げたノーキョーのグループツアー客が世界のあちこちで見かけるようになり、それは昨今の中国の富裕層の姿と極めてよく似たニュアンスで捉えられたものでした。

70年万博なら今頃は建設もたけなわ。ダンプやブルドーザーが走り回り千里の丘も著しく姿を変えていた。
それが今度の万博では外国から153カ国も参加するというのに、自国パビリオンの建設申請は今のところゼロ!
まああの頃のアメリカ館なら盛り土にエアドームを被せて一丁上がりで済みますがこのままじゃ開幕に間に合わない恐れもあるという。建設費高騰が理由の一つとされるものの、あとは寄り合い所帯の長屋方式か、協会の提供する建物をレンタルするしか場所がない、ことになります。
実際EXPO70でもアフリカの小国や中東の国々、中南米諸国などは寄り合い所帯の小さな長屋を分け合って、仲良く同居していました。
テーマだった人類の進歩と調和・・・・・少なくとも進歩に関しては十分テーマに沿った万博でした。今度のはどうでしょう?
映像コンテンツも大型アトラクションも珍しくない現代、ハウステンボスの一期工事よりも安い予算でコロナ前のディズニーリゾート並みの集客を目論むからには、それ相応の魅力がないといけません。

未来社会と我々の生活をデザインする・・・・・高齢化や健康、福祉問題といった形にできないものをどうやってプレゼンするか?みに行くだけのバリューあるものにできるのか?
企画書を書く広告代理店マンの手腕が大きく問われる博覧会になるのではないでしょうか?

| 11:24 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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