2022年03月15日
またみたいよう
テレビでしか見られなかった1964東京オリンピックに比べて8回も見学した大阪万国博覧会1970の印象は強烈でした。大阪吹田市の千里の丘に突如出現した未来都市。文字通り国家的なイベントで半年間に6,000万人も入場した記録は語り草です。
ちょうど52年前の3月15日には開会式が催され、今日のオリンピックで見られる様な巨大エンタメの先駆けでもありました。100を超えるパビリオンが建設され、いくつ入館したか友達同士で競い合ったものですが、大部分は閉幕とともに撤去。ごく僅かが地方に譲渡、移転されましたが現存しているものは稀の様です。
現在万博記念公園に残されている太陽の塔もそんなパビリオン群の一つ、当時は大屋根に囲まれていて全貌を拝める様になったのは、実は万博終了後のことでした。内部も展示物の一環で、開幕中は見学待ちの長い列が出来るくらいの人気でしたが、このほど補修工事を経て再び一般公開されることになりました。申し込みサイトがダウンするほどの、ものすごい競争率でした!
大雑把に言うとダーウィンの進化論をモチーフにした様な生命の樹が塔内いっぱいに伸びていて、確かエスカレーターに乗って下から見学する仕組みだったと思います。
これから見学する大部分のお客さんは自分がまだ生まれる前の作品を目にするわけですが、気鋭のアーティスト-岡本太郎のデザインに圧倒される筈です。
パビリオン群の跡地は広い緑地公園と森林公園に生まれ変わり、市民の憩いの場として今も親しまれています。大阪に足を伸ばせば、いつも立ち寄ってしまうお気に入りスポットでもあります。
さて、当時は上まで昇りきった客をどうやって捌くか?
実は腕の一本が大屋根に直結していたので、腕から外へ出る一方通行ルートでした。現代の内部公開では昔の様にはいきません。昇りきった客は何処へ向かうのでしょうか?(下り用の階段が用意されています)