2022年01月26日

デジタルmediaの歴史⑴

生活の中に日本でデジタルという言葉が頻繁に顔を見せるようになったのは70年代頃からでしょうか?

デジタルメーターという先進的な計器盤がクルマのかタログを飾る様になったのは80年代から。今やアナログ式の針でスピードを指すメーターを探すのは至難の業かも知れません。腕時計の世界では既に70年代からデジタル表示という、液晶画面を使った表示方法が存在しています。電卓なら更に旧く70年代初めに蛍光管を使ったデジタル卓上計算機が登場しています。

この,手のひらに乗るほどの小さな計算機がどうして瞬時に計算を済ませるのか?計算機の中では10進法ではなく2進法を使った計算が行われていたのです。まずは1から10までの数字を二進法のルールに置き換えなければ計算が出来ません。電卓のキーの数は±や=,×や割る,小数点を含めると10を超えます。
一方二進法ではひとケタだけだと0か1のふたつだけですが2桁だと00、01、10、11の四通り、3桁ならその倍の8通り,そして4桁なら16通りの数字や記号を置き換えることが出来ます。
つまりQRコードだったら4つのマスで電卓の16のキー入力をデジタル信号に置き換えることが出来る訳。
2進法では1+1は01と01を加える・・・1の位は双方とも1なので0を結果として導きだします。その代わり(二進法の)10の位は0なら1に、1なら0にして代わりに100の位を1に・・・・と延々単純作業をすすめます。1と0なら結果は1のまま。ここで活躍するのがダイオード、半導体の特質です。ふたつの課題を与えて二とおりの結果を出力させる。1と1や0と0なら0に。1と0なら1のまま。コンピューターの基本原理は全てこの単純な作業の積み重ねです。
電卓の複雑な計算をこなすためにプログラム言語が開発されます。先頭に行番号を与えられたコマンド、作業手順の通りに仕事を繰り返す第1歩がデジタル腕時計でした。一定の時間がきたら秒の数字をひとつ進める.60まで進んだら0に戻し,1時間進めて,24時間後には1に・・・・ストップウオッチのボタンが押されたら0からスタートして・・・・・

次にデジタル信号を遠くに送って、タイプライター同志を繋ぐと・・・・テレックスの登場です。当初は5ビットの原始的なものから7ビットや日本独自の6ビットなども使われました。2の5乗=32文字しか使えない,けれどもアルファベット26文字死か使わない文章ならどんなに遠くへでもどんなに長い文章でも送ることが出来るようになった訳です。昔のオフィスの代表電話にはこのテレックス回線用の番号を併記したものもありました。長続きはしませんでしたが・・・・

デジタル信号で文字や数字をやり取りできる様になると,電話線を繋いだ二台のコンピューター間で相互に文章を送ったり受け取ったり、電話を通じて会話するように双方のデータをやり取りすることが可能になるわけです。
さてパソコン同志で文字や数字を送受信できる様になると,そこにコミュニケーションの輪が広がる様になります。研究者や趣味の仲間たちが集まってグループを作り始めました。パソコン通信と言って、80年代半ば、日本でも皆が同じメールボックスを読み書きできる様にして共通の話題を語り合う場としたものです。1つ1つのグループはフォーラムと呼ばれ,管理者が設定されて入会や退会の承認を行なっていたものです。リアルタイムで文字データを交換し合えるチャットという機能もこの時産声を上げています。

パソコン同士を介して,音声ファイルや写真・動画の大量データも送受信が可能になるとインターネット空間にwwwという新たな世界共通の表示プログラムが生まれる事になり、インターネットという言葉も頻繁に耳にする様になって来ます。既に日本では平成に年号が替わって数年が過ようとしていました・・・・・

| 15:09 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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