2021年11月23日
全斗煥の80年代と現代PONY
80年代の韓国成長を率いた全斗煥=チョン・ドゥファン: ぜん とかん)元大統領が亡くなられました。
(その昔はぜんとかん大統領の呼び方が普通でしたが・・・)
暗殺された朴大統領のあとを継いで、88年のソウル五輪でその発展ぶりを世界に印象付けるまで、韓国の近代化を後押しした立役者として名を馳せました。
そんな韓国の80年代は韓国車の歴史でみても著しい発展を遂げた期間です。全政権とほぼ時を同じくしてヒュンダイ自動車がデビューさせたのがポニーと言う小型車。
それまではマツダや三菱の協力でノックダウン生産が主だった韓国自動車産業界が独自に開発した小型車、2ボックスのおしゃれなボディはイタルデザインの作品。エンジンは三菱の手になるもの。日本でいえば当時のパルサーにもよく似たプロポーションでした。
(そんな名車ポニーですが、映画「光州5・18」(2007)の撮影で韓国全土を探したところ、使えそうな個体は国内に1台も残っていなかったとかで、撮影に供されたのは中東から急遽逆輸入されたポニーだったとか)
このポニーが牽引役となって韓国も自前の自動車開発をすすめ、90年には各社、そのバリエーションを拡充させます。つまり全政権の時代で韓国の自動車産業は日本などの背中を捉え、追いつきつつあるのでした。
あれから、すでに30年‥‥韓国車のパフォーマンスもコスパも著しく向上して、今や世界のマーケットでは日本車を追い落とす勢いです。路上で韓国の安い乗用車を見かけない国は今や日本と中国とインドネシアだけ、と言っても言い過ぎではありません。
当時はそんな韓国産のフォード・フェスティバが日本で販売を開始したり、韓国車のディーラー網ができたりと話題になりましたが、まだ品質で日本車との差は大きく、韓国車ブームになることはありませんでした。