2021年09月09日
off lineと仏教とAIと
平成が始まる頃毎日の様に苦楽を共にした知人の納骨が、四十九日を期して行われるある日、自分なりの弔いはできぬものかと本門寺に赴きました。
訃報を知らされたのはほんの数日前、病床にあった本人の遺志に基き今頃知る結果に。
宗派が違えども俗名で回向し供養する事は可能だと言う。宗教界での相互乗り入れはそれほど難しくは無さそうだった。
偶然、夕勤の時間に差し掛かり案内された大きな本堂講堂に入ってみる。
何妙法蓮華経の読経が流れ厳かな気分に
勤の終わりには講和があった。意外にも話の端緒はオフラインの話から...
いま目の前に並ぶ仏像とはオフラインで接している••••人の世の営みもデジタル化と共にAIに置換されていくのかもしれない。けれども人の心というものはAI化出来ない領域なのではないか?いやひょっとして遠くない将来に??
斬新な切り口の講話で意外にも楽しかった。
考えてみれば祈りを捧げる場所は神のいる場所とは昔から離れており、そもそもがWiFi不要のリモートコミュニケーションではなかったか!祈りや神を敬う気持ちは最初からリモートワークだったのだ。
お布施やお線香のリモート化はまだ先かもしれないけれども祈りを捧げる行為はそもそもがリモートなものなのだ。と納得して、ほんの少し救われた気持ちがして本門寺を後にしたのでした。