2021年01月05日

昭和のあの頃

昭和も残り1年となった1988年正月のこの日の夜、高輪署や近隣の消防署からけたたましくサイレンを鳴らしながら救急車が事故現場に急行していました。向かった先はディスコ、トゥーリア。バリライトと呼ばれる照明装置がフレームごと落下、下敷きになった入場客に死傷者が出たという惨事でした。
翌日には各局報道でも大きく取り上げられ、バブルの象徴的な存在だったディスコも、ワンレンもボディコンシャスなワンピも事故の後、ますます勢いを加速して世の中はあっという間にこの惨事を忘れたかのようでした。

前年秋にはブラックマンデー、続くこの年は米大統領選、ソウルではオリンピックが開催され韓国も先進国の仲間入りを果たした歴史的1年です。韓国語を習い始める人が続出し、韓国が近しい国に感じられるようになってきたのもこの頃。

そんなオリンピックのさなか、天皇陛下の御病状を伝える速報が頻繁に流れる様になりました。日本中で慶事は軒並み、運動会やイベントも相次いで陛下の御病状を鑑みて自粛、中止となりました。ウチの小さな所属事務所ですら1日の売り上げが3桁も落ち込んだりしたものです。


ベールの向こうの皇室ゆえ、些細な動きも逃すまいとメディア各社は赤坂御所正門前に陣取って昼も夜ものちに平成天皇と成られる皇太子殿下の動きを注視する様になりました。

神宮前に連なる銀杏並木もやがて色を変え、葉を落とす季節が訪れましたが記者たちの「門番」は続きます。

やがて翌年の正月を迎え、昭和の最後の日を迎えるに至りますが、この年の後半は今ほどでは無いにせよ何かと不自由を覚える日が続きました。

CM画面に現れた大歌手がお元気ですか〜〜と呟くのさえ時勢にふさわしくないからと取りやめになったのも語り草です・・・・・

| 15:13 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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