2021年01月14日
coronaの終焉
といってもトヨペット・コロナが消滅するという話。いやコロナはもうとっくに姿を消している。1995年にコロナ・プレミオと改名して以降、コロナの表記はこの国から消えてしまった。
今はアリオン、プレミオとしてトヨタブランドで販売されているもののこの3月で生産を終了する。初代コロナからPT,RT、TT,ST,NZTと形式名のTを継承してきたのが、今回260系をもってその60ね2条の歴史に幕を下ろす。
PT10から始まり、26代目という計算ではない、実にたくさんの兄弟たちがいたのだ。その中にはあのセリカやカリーナ、欧州向けのアベンシスも含まれている。
そもそもの始まりはトヨタが総力を挙げてゼロから作り上げたクラウンのお買い得版。共有できる部品を多用して販売店系列も新規に立ち上げ、トヨペット店の主力車種として生を受けたのが1957年。もはや戦後10年をとっくに過ぎていた。
日産からはブルーバードという同クラスの刺客を送り込まれ、たちどころに両者のライバル戦争が勃発する。60年にはこれまたゼロから開発した新型コロナを世に問うた。が、斬新すぎる足回りは耐久性に難ありと評され手直しを余儀なくされる。
崖っぷちから新車のコロナを転げ落として、テストドライバーがぼこぼこに歪んだコロナを運転して走り去るという過激なTVCFで話題を呼んだのはこの時だった。
オリンピックイヤーの64年には三代目に移行、翌年には日本初のハードトップを追加して、5ドアという新境地も開拓した。一回り大きなマークⅡシリーズが分家した後はコロナの部品を使いまわして、さらに小型・安価なカリーナ、セリカを産み落とす。
初代のマークⅡは60,70系。セリカやカリーナものちにはこのTの系譜に取り込まれ2年ごとにどちらかがモデルチェンジのサイクルを迎えるというローテーションだった。
双子車が生まれた背景には販売店系列の増加がある。トヨペット店の旗艦は当初、コロナだった。が上級以降を取り込める車種がない。そこで一クラス上のマークⅡ投入でクラウンに奪われていた需要を奪回。トヨタ店に遠慮したのか排気量は100cc少ない1900を上限としていた。
トヨタ店としても、クラウンを変えない大衆向けに安価な車が欲しかった。コロナよりも低価格で車格もそれほどそん色のないカリーナを設えることで下から仮^な、コロナ、マークⅡ、クラウンというヒエラルキーが構築できた。
カリーナと同時開発のセリカはカローラ店で販売、カローラの上級というより独身貴族を狙ったマーケティングといったほうがふさわしいかもしれない。
カリーナもコロナも車格には大きな相違がなく、80年代にはほぼ車体の基本を共有するようになっていた。セリカの格好いいボディも裏側を除くとプロパンガスで走るコロナと瓜二つ、に近かったのである。
おしゃれなスペシャルティーカーがデートカーとしてもてはやされたのは80年代までのこと。90年代には大きなドアの2ドア車はすたれる一方、トヨタ唯一の4ドアHT、カリーナEDも90年代で消滅した。
販売合戦の主戦がサニーやカローラといった大衆車に移行し、ファミリーカーの定義もだんだんあいまいになって、5人乗りセダンの意味づけも怪しくなってきた21世紀、販売の主力は経済釈迦ミニバン。タクシーみたいなセダンの出番は営業車と警察が捜査に使う地味なクルマくらいしかなかった。
法人需要があるクラウンと大衆車たるカローラ、ヴィッツに挟まれてコロナの位置づけも中途半端なものにならざるを得ない。格下のカローラとどこが違うかといえば、わずかに長さが10センチばかり長いだけ。これといったキャラクターが立つわけでもなく、いつの間にか存在すら忘れられる存在に・・・・・
遠くない将来、クラウンのセダンが終わりアリオン(コロナ・プレミオ)が消えてしまうと昭和30年代からの系譜はパブリカ・ヴィッツ以外皆途絶えてしまうことになる。結局はランドクルーザーが不動の位置を保ち続けているのみ
販売系列の統合でポルテやスペード、各種の兄弟車も姿を消す。左サイドに大きなスライドドアを持つポルテは我が家の狭い軒先に停車するの鬼はうってつけの一台だった。買い置きができるものならば・・・・・・