2020年05月27日
テレビ越しの東京史
東京タワーがいよいよ明日、営業再開!(予約制で、外階段で昇降のコースも・・・・)民放テレビ局の開局は戦後間もない昭和20年代の終盤で、30年代には東京キー局の殆どが出揃い、東京タワーはテレビ各局の統合電波塔として竣工しました。テレビジョンが映して来たものの多くはキー局のある東京の姿であり歴史でもある。そんな視点から語られるのが、今読んでいる「テレビ越しの東京史」です。
全国のテレビ局を系列ネットワークで結び、皇太子ご成婚を日本中に放映したTV時代の到来。日本中がテレビを通して見ていた東京ではオリンピックが開催され、七曲署の刑事たちが馳け廻る新宿の街がわが町の出来事のように描かれてきました。
各家庭にテレビが行き渡り、屋根上のアンテナがカラー用に入れ替わった昭和40年年代、高度に成長した東京はやがて、題材の主役から退こうとします。
首相が唱えた列島改造論、自治体の知事が唱えた地方の時代。そんな局面で全国に認可された民放UHF局の相次ぐ開局、撮影機材に機動性の高いENGシステムが普及したことも地方制作のローカル番組、全国放送の日本紀行番組の隆盛に繋がります。
テレビドラマの舞台も時間ですよ、寺内貫太郎一家の東京下町から岸辺のアルバムの多摩川流域へ、北の国からの富良野・麓郷へと脱・東京化してゆきます。
そんな北の国からの中で黒板五郎は息子・純の問いに「TVは有りません」とその存在すら否定してしまう。
あのドラマから40年後の今,若者の部屋からTV受像機は姿を消して・・・・・・
これから地上波テレビが何処へ向おうとしているのか?
というよりTVモニターがこれからどんなコンテンツを映し出して行くのか?
東京とTVの歴史はこれからも変遷してゆきそうです・・・・・・