2019年09月19日
勝海舟記念館
長崎にまだオランダ村があった頃、オランダに発注された日本で最初の汽帆船(軍艦)を忠実に復元した、観光丸を観てきたことがあります。両舷には大きな水車、三本のマストは後の咸臨丸とよく似ています。長崎伝習所で海軍クルーの養成に用いられた、日本海軍の遠いルーツの船です。
幕末の揺動期、蘭学を学び航海術をマスターした勝麟太郎(幼名)は自らを海舟と名乗ります。幕府に海軍軍備の必要性を説き、初の太平洋横断の偉業を実質的な艦長として成功させます。オランダ製の(スクリューの付いた)汽帆船=咸臨丸とはいえ、日本人クルーによる最初の太平洋横断は容易なものではありませんでした・・・・
このほど大田区に勝海舟の記念館がオープンしました。正確にいうと約90年前に建てられた勝所蔵の資料などを収めた旧清明文庫のリニューアルです。大田区に移譲され、国の登録有形文化財にもなっています。
ゴシック様式にも似たどっしりした表向きは大きく2階建てで構成され、勝海舟が残した文書などを中心にその足跡をたどることができます。もちろんビデオプロジェクターによる上映も繰り返されており、ドラマチックな足跡をリアルに辿ることも出来るようになっています。
咸臨丸に乗り合わせたのは日本人90名あまりと航海ノウハウに長じた米国人ら数名、それにジョン万次郎。日本人クルーのほとんどは荒天での帆船の操船経験がありません。おまけに重要な指揮命令系統も無きに等しい。ノウハウを持つ米国人客には発言権がありません。この苦境を勝海舟は見事に切り抜け、困難な航海を成功裏に完遂させます。
さて、何故この場所に記念館が?・・・実は勝海舟の別荘が建てられ夫妻の墓所があるのが洗足池。アシ漕ぎボートにも乗れるし桜の季節には多くの行楽客でにぎわう観光地なのです。江戸城無血開城を話し合った本門寺からも遠くなく、意外に縁のある土地だということです