2019年01月24日

東名全通50年

東京用賀ランプと西宮インター間の東名・名神高速が全通、一本に繋がったのは今から50年も前の1969年。それまでは部分的に下道に降りたので、朝用賀を出発して明るいうちに京阪神にたどり着けるのは夢の様な出来事でした。

真夜中でも高速バスが頻繁に行き来して物流の主役、大型トラックが束になって走る。日本の国土軸の重要な生命線です。そんな国土軸が一度寸断されてしまうとどうなるか?

40年前、まさにこの問題が現実問題として噴出したのが日本坂トンネル火災でした。片側二車線の長大なトンネルはちょうど南アルプスの南端に位置しており迂回路は狭い国道150号線があるのみ。100台近くが炎上したトンネル火災のあと、全面復旧までには数ヶ月の長い期間を要しました。

大動脈が絶たれると東西間の物流は大きな影響を受けてしまいます。プロ野球の用具一式を運ぶトラックが遠征先に間に合わない!AMラジオ局のネットワーク番組を配信するテープが放送時間に間に合わない!様々な場面で生活にも大きな影響を及ぼしたものでした。

並行する国道1号はもちろん大混乱、さらに東名と東海道線が折り重なる様に通る由比海岸付近がもしも大きな災害w受けて全滅してしまうリスクは今も変わりありません。

ここを通らずに東西を結ぶのがのちに開通した中央高速と第二東名です。中央高速は山間部が多く大型トラックは苦手の路線です。その点第二東名は140km巡航時代を見据え、3車線が基本です。由比海岸の崖っぷちも通らずに済み第二国土軸としての機能を発揮し始めています。伊勢湾岸道に繋がり、東名阪高速と合流するところまでは完成していますがその先は旧来の二車線、鈴鹿付近での慢性的な渋滞は今や、日常化しつつあります。
同じことは御殿場、足柄周辺の合流点にも言えます。いずれ海老名まで第二東名が延伸すれば解消も見込めますが・・・・・・

高速道路網とトラック・バス輸送が大きく勢力地図を変えた国土軸、あれほど隆盛を極めたブルートレインはすでになく、深夜の東海道線を行きかうのは長距離コンテナ列車ばかりです・・・・・・

| 09:29 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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