2018年11月14日
なぜかさいたま
11/14は埼玉県の日、誕生して147年を迎えるそうですが、その昔・県北部と群馬県は熊谷県と呼ばれていた時代がありました!現在の熊谷に近い行田市にあったのが忍城(おしじょう)・・・・・・関が原の合戦のちょっと前の時代、石田三成率いる二万の軍勢がのちに石田堤と呼ばれる堤を築いて水攻めを図ったのが忍城でした。
豊臣軍勢に小田原城が包囲され、(小田原征伐)の裏で秀吉のナンバー2=石田三成率いる2万3000の兵が、攻略目標に据えたのが、武家-成田氏の居城、忍城でした。そこで指揮をとるのが成田長親(なりた ながちか)です。"のぼう様"と言えば通りが良いかもしれません。
一週間で28kmの築堤を作られ「水攻め」作戦を仕掛けられたにもかかわらず、たった3000の兵、領民や家臣達を守り抜いた逸話は、野村萬斎が好演した映画「のぼうの城」で描かれています。
その後、廃藩置県により忍藩は忍県へ。熊谷県を経て埼玉県が生まれています。忍城は解体されてしまい現在のものは鉄筋コンクリート製です。
行田市はその後足袋の生産地として栄え、ドラマ➖陸王では物語の中心となっている足袋業者が再びロケ地として脚光を集めるに至っています。