2017年03月14日

march13/88

青森市と函館市をむすぶルートといえば青函連絡船しか思い浮かばなかったのが昭和の終わり頃・・・・その昭和最後の3月、ついに青函トンネルが開業しました。本州と北海道が海底トンネルで繋がるという、前代未聞の出来事から29年。上野発の夜行列車降りたら札幌駅のホームという夢のような寝台特急「北斗星」も運行を始めました。
北海道内を結ぶ鉄路も今とは大違い、ちほく高原鉄道や深名線といった長大ローカル線もまだ、健在だったほか札幌から道内各地に向かうリゾート特急も数多く走っていたものです。

時はあたかもバブル前夜、相前後して本州四国連絡架橋の児島・坂出ルートが開通。列車も車も直接上陸できるようになり、日本列島が鉄道線路でひとつに結ばれるという大きな歴史的節目でした。高速道路網も青森から鹿児島までが首都高速をはさんで一本につながり一つの大きな国土軸が完成を見ます。地上げという言葉が頻繁に使われるようになったのもほぼ、同じ頃.リストラやリセッションに喘いでいた米欧を尻目に日本株の付加価値が大きく評価を上げる結果となったのも国土軸の整備とあながち無縁ではないかもしれません。
現在の青函トンネルは新幹線と貨物専用に役割を大きく変えました。新幹線の旅客が大きく伸びない限りは大きく需要が変わることはないかもしれません。九州や四国には第二、第三の連絡架橋が実現していますが青函トンネルはまだ一本だけ。今のところ北海道だけが道路網でつながっていないこともまた、事実です。トラック航送が可能な貨物列車が実現したら・・・・対北海道の物流も大きく様変わりするだけでなく国土軸を大きく変えるきっかけとしてひとつのチャンスに・・と思うのですが・・・・・

| 21:28 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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