2017年01月10日

MP4/4

10日発売される隔週刊のミニカー・コレクション、1/43スケールのミニカーがおまけで付いてくる例のシリーズで、今度は古今のF1カーです。初回はマクラーレン・ホンダMP4/4...あまりにも有名なセナ・プロスト時代の黄金期を彩る名車です。当時は中島悟のレギュラー参戦やフジテレビによる全戦中継など、バブル景気に向けてF1熱も徐々にヒートアップしていた真っただ中。今思えば夢のような時代でした。(写真はホンモノ)
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/4(スラッシュ4)と名付けられた第1期ターボチャ-ジャー時代の最後を飾るマシンは640馬力と、だいぶ牙を抜かれた6気筒エンジンで、翌年からの10気筒エンジン車よりも背が低く幅が広いのが特徴でした。ちょっとあか抜けないところはご愛嬌、それでも史上稀にみる最強マシンだったことは疑いありません。今よりもタイア幅が広くウィングもはるかに巨大だった、ドラッグ・レーサーみたいなスタイルが時代を感じさせます。

その頃のホンダと言えば英国ローバーとジョイントして数多くの兄弟車を産出したほか、円高の影響もあってアメリカ工場からはアコードクーペを輸入、革張りのシートと左ハンドルが人気でした。時代はバブル前夜、シーマ現象という言葉が流行語になり東京じゅうの車庫、駐車場は強気の値段をひけらかし、車庫不足に泣かされていました。
ソウルでは久々にアジアでのオリンピック開催とあって韓流ブームの兆しも見え始めていました。昭和と呼ばれた最後の秋、日本中は天皇陛下のご病状に配慮して「お元気ですか~」とにこやかにつぶやくCMが自粛の対象となったほどでした。

あ、そうそうF1の話でした・・・・88年のマクラーレン・ホンダと言えば欧州もうらやむ最強軍団、最大のライバルはルール変更でした。が、翌年、中島を差し置いて日本人初の表彰台男となったのは意外なことに非力なラルース・ランボルギーニの重たい12気筒エンジンを乗せた鈴木亜久里選手でした。この快挙にF1人気は頂点に達します。それはのちに4万円近くにまで高騰した日経平均株価を見るかのようでした・・・・・

| 00:32 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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