2016年12月08日
十二月八日
12月7日の夜明け、神々しいばかりの光景です。ハワイ時間で75年前のこの日早朝は日本が米英に宣戦布告した日(1941年12月)、真珠湾攻撃と前後して広島県呉市の海軍工廠では東洋随一の戦艦「大和」が竣工します(12月16日)当時アメリカ東海岸で建造されたアメリカの戦艦はパナマ運河通過の制限から40センチ口径の大砲が精一杯でしたが、パナマ運河など関係ない大和は43センチ砲を装備します。おそらく世界最大・最強の、そして世界最後の巨艦でした。1940年にはゼロ戦も実戦配備されており、兵器(技術)水準だけ見ればたしかに日本が世界のナンバーワンクラスにあったことは疑いありません。これだけのアイテムが揃えば世界に冠たる日本海軍が米英とも対等に戦える・・・・・そう、勘違いしても不思議はなかったかもしれません
まるで大和の竣工を見据えたかのような宣戦布告。でも、建造が始まったのは遡ること四年、1937年のことでした。結局その巨砲が戦果を誇ることはほとんどありませんでしたが・・・・・・・
鹿児島県には第二次大戦にまつわる史跡が少なくありません。沖縄決戦を前に前進基地がおかれたのも一因、そして200kmも離れた沖合から立ち上る黒煙が目視できた坊津の岬、戦艦大和の最期を見届けることになった岬です。坊ノ岬海戦で沈んだのは大和だけではなく、矢矧・霞などの第二艦隊フリートも犠牲となり、四千人近くにも及ぶ犠牲者の霊がここに祀られています。
真珠湾攻撃から75年と3週間後、日本の首相がハワイを訪れ慰霊の気持ちを表します。
休暇中のオバマ大統領も安倍首相も、もはや戦後生まれの平和な時代に生まれ育った両国のリーダーです。日本はともかくアメリカも不戦の誓いを立ててくれたなら、はるばるハワイまでソーリが出掛ける甲斐もあろうもんなのですが・・・・