2015年02月23日

スポーツカーの父

 日本自動車産業界において、またかけがえのない巨星が墜ちてしまいました。日産自動車の創業当時から共に歩み、北米での日本車人気の基盤を作った片山豊さん105歳の大往生でした。
 北米ではスポーツカー「240Z」=フェアレディーZの生みの親として、ミスターKの愛称で親しげに語られてきました。現在も販売されているフェアレディー、北米ではZカーとして1970年からおなじみの存在です。

 
 現在の東京モーターショーのたたき台を作り、国際ラリー出場を広告戦略にも取り入れた先駆者、片山氏が北米に日産の現地法人を構えたのは、もう50年も昔の1965年。後に日産は名車ダットサン510セダン(日本名ブルーバード)をヒットさせ、全米にDATSUNブランドを浸透させています。その北米市場で片山氏が企画した二人乗りの小型で安価、高性能なスポーツカーが240Zとして製品化されます。510ブルーバードの部品を活用し、1600ccエンジンに2気筒をプラスした2400ccエンジンはイギリス生まれの量販スポーツカー、ジャガーEタイプに習ったロングノーズに収まり、スタイルは当時全米で人気のファストバック・ショートテールの魅力的なデザイン。9割以上の販売台数は北米で記録されてものでした。

 
  自動車殿堂入りを果たした片山氏は一線を退いたあとも、北米の日産車ファンから引っ張りだこの人気、日産にとってもかけがえのない人物でした。もしも彼がいなかったら東京でモーターショー(の前身)が開催されていたかどうか、北米に赴任していなければ日本車はあの巨大市場で定着していたか?すべてが彼一人の功績とは言えないにしても、その功績は日本経済の奇跡的な復興に大きなきっかけをもたらしたことは間違いないと言えるでしょう。北米版日産のフェイスブックには追悼のメッセージが愛車のZの写真とともに多数投稿されています。かく言う私も元オーナーの一人です・・・・・

| 21:57 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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