2014年10月07日
ニッポンの技術開発力
白いクラウン,いつかはクラウン,幾多のキャッチコピーで有名なクラウンですが、昭和30年代初頭にトヨタが独力で開発した記念碑的な製品でした。・・・・まだまだ日本の自動車開発の技術が欧米に較べて大きく遅れをとっていた頃です
この時代の日本車は日野ルノー、いすゞヒルマン、日差オースティン、それに三菱ジープといったように海外からの技術導入が盛んで、同クラスのフォルクスワーゲンなど輸入車ディーラーの車よりも販売店が多くサービスも受けやすいことで、セールスもそこそこ成功していましいた。まだ乗用車進出前のダイハツ、ホンダは別として海外の手助けもなく独力でこうした欧米の製品に立ち向かうのに求められる相当な覚悟と開発資金、経営判断を揃えたのがトヨタという会社でした。
トヨタは戦後ほかにも進歩的な小型車やランドクルーザーの始祖となる、ジープタイプを生産しています。しかし、クラウンがそれまでと違うのは全国にフランチャイズの販売店網を組織し、売る力を備えたことでした。
数年後には早くも第二の販売チャンネルを樹立、日産の人気小型車ダットサンに対抗するトヨペット・コロナが生まれました。5ナンバーでフルサイズのクラウンと部品共有で安価に作った初代のコロナ、でもこれだけでは不十分でした・・・・・
観音開きのドア、ホーンリングを回してウィンカー左右のオンオフを操作したり足踏みスイッチでライトの上向き,下向きをチェンジする・・・今とは大分流儀の違うやり方でした・・が、何と言ってもガソリン給油口がユニーク。今のスタンド店員だったらまず探し当てるのは無理でしょう(RS30)正解は左テールランプの裏側.キーロックを解除してテールライトをパカッと空けると中から給油口が姿を見せます。この時代にはありがちなパターンで20系コロナはリア,ナンバープレートの裏側。初代セリカもこれに近い場所にありました。デザイン上の理由なのか工作精度上の問題なのか定かではありませんが,当時はスタンドでカギを渡せばすべて店員さんがやってくれたのでオーナーは知らずとも済んじゃった訳です。