2014年09月24日
昭和の名車・ダットサン
ダットサンと言えば戦前は小型車の代名詞とも言われ、かなりの台数が生産されたようですが、昭和30年代ともなるとイギリスから技術導入されたオースチンが日産を代表する小型車の時代がありました。この頃国民車構想として全長3m、排気量360ccの軽自動車規格が固まったワケですが、そのお手本とおぼしき車を見つけました。
戦前に生産された小さなダットサンは全長ほぼ3m。排気量はのちの軽自動車360ccを大きく上回るものの、大人四人を乗せて必要最小限の用途を満たすにはこのサイズでよかろう、と判断した行政側の根拠となったかもしれません。
やがて、現代のブルーバード,ティアナにつながる110型が開発され、対米輸出の快進撃、日本でトップクラスの自動車メーカーへの礎を作ります。
前身となる快進社は今からちょうど100年前の創業、ダットサンのDATは出資した三人の頭文字、田さん、青山さん、それに竹内さん、息子を意味するsonからSUNに改名されたのは日本語だと損を連想するから、といった逸話も残されています。かつては北米でもNISSANより、ダッツンの方が有名だった時期がありますが、最近は東南アジアを中心とした海外戦略のアイコンとして、数十年ぶりにDATSUNの商標が蘇っています。