2014年03月08日
since1989 Roadster
ウクライナ情勢のその後ですが,とりあえず冬季パラリンピックの開催には影響ない様です。今のところ・・・・ ところで、いまウクライナで起こりつつあることは1989年に東欧諸国で起きた一連の動きとよく似た背景があるのに気づきます。最大の違いは潤沢なマネーを背景といたロシアの力強さ・・・今のところ,強気の姿勢を崩していないばかりか,クリミア半島の住民の大多数が親ロシア派ということもあり、ウクライナ分裂という結末も見え始めています。
さて、クルマの世界でも1989年を境に大きく変化した流れがあります。この年1月末、アメリカ・シカゴショーに参考出品された一台の日本車が、のちの自動車マーケットに大きな変化をもたらしました。9月に日本で発売された時の車名はユーノス(ロードスター)価格は170万円からで、二人乗りのオープンスポーツカーでは、ほかにはメルセデスのSLシリーズや少量生産のキットカーくらいしか選択の余地がなかったこの市場をあっという間に活性化させ、多くのライバル参入を促した、歴史的な一台の登場です。
昭和が終ったばかりの当時の日本、プラザ合意に始まる円高、ドル安容認政策のおかげで、空前の円高時代を経験します。当時のレーガン政権が打ち出したレーガノミクス・・・ドル安に誘導して対外収支の赤字縮小を図ろうという。どこかの首相が一時的に真似しているつもりの政策です。国鉄、専売、電電公社も民営化され地上げブームは株価を未曾有の高値まで押し上げるきっかけとなりました。ご存知バブル景気の到来です。ディスコ=ジュリアナ/トゥーリアには毎夜ボディコンシャスの花が咲き誇り、まだ台数の制限されていたタクシーの空車を捕まえるのは女性に声をかけてお誘いに応じてもらえるより数倍難しいとされていました。
そんな円高な時代、日本車からはそれまでにない新種の車が登場しました。アメリカではレクサスブランドの最上級車としてドイツの高級車群をライバルに売り出された、日本名セルシオです。全てに最上級を目指すこの車のオーダーは「良い車を作れ」のたった一言。北海道に広大なテストコースが作られたのもこの車の開発の一環です。想像を絶する円高と、北米で高まる日本車批判、それらの打開策の一つとして高価格、高品質の高級車にシフトしたのは日産もホンダも同様でした。
日本の高級車市場ではもう一つ独特の異変が起きていました。シーマ現象、バブル景気と並び称されるこの言葉は日産セドリック/グロリアに設けられた255馬力、3ナンバーターボ装備の高級車に代表されるクルマ界のバブル現象でした。平成元年度とともに導入された消費税制度はクルマに限っては一時的に6%に設定。それでも高級品にかけられていた15%以上の物品税廃止と併せれば、大幅な実質値下げと同義でした。地上げブームで高騰した駐車場料金をものともせず、高級車は飛ぶように売れ続け、車庫飛ばしなんて現象も起きたくらいです。
この年から舞台を幕張新都心に移して開かれた東京モーターショーは、このあと数回、2シータースポーツカーの習作が相次いで発表される場となりました。モータースポーツではセナ+ホンダパワーが世界を席巻しているまっさい中、まさか,10年のち若者のクルマ離れなんて言葉が使われる様になるとは想像すらつかない頃でした。