2011年11月26日

ワンコインオートミュージアムーR

ハコスカGTの4ドアRの発売日。
(といっても名車を復刻のトミカリミテッドシリーズですが)
DSCF4069.jpg
(太平洋の海岸が似合うのはやはりハコスカ)
ポルシェ904やカレラ6と闘う使命を帯びて生まれた
プリンス自工38番目のプロジェクト「R380」
その6気筒エンジンGR8は元々スカGゆずりのもの
それを基本に発展したのがS20ツインカム4バルブ
レースの為に生まれた名機でした。これを最初に搭載
したのが4ドアのスカイラインGTの二代目でしたDSCF4153.jpg

fiscoのレーシングコースを走り抜ける無骨な4ドアセダン
P1150354.jpg
スポンサーのオカモトのマークと共に強烈な印象を焼き付けます

今までKPGCことハードトップのRはトミカでも製品化されていますが
意外と製品化されていなかったのがPGC10、4ドアのGTーRR1508178.jpg
これ以降、4ドア6気筒の赤バッジが存在したのは限定販売のR33のみ
R1508130.jpg

トヨタ2000GTを上回る心臓を持ちながらも五人乗りのセダンボディ,
ラジオもヒーターもオプションですがタイア四本を飲み込むトランク付き。
ある意味お買い得なカースーパースポーツだったのかも知れません
ライバルの倍以上人が乗れて50万円以上もお得!
7~8年後には38万円というプライスタグと共に
中古車販売店の店頭に並んでいたのを懐かしく思い出します

あのとき無理してでも買っておけば・・・・・・

| 10:45 | コメント(3) | カテゴリー:吉田雅彦

コメント

34,5年前38万円、と言いますと、現在ではどのくらいに換算されるでしょうか・・・?
当時吉田さんは大学生だった訳ですが、卒業後まで待ってご購入されたと仮定すると、今その車はどんな運命を辿っているでしょうか?

投稿者 ちなみん : 2011年11月30日 10:17

当時の「熱」を知っておられる場合、それを知らない人とはまったく違う「トキメキ」が何年経っても蘇ってくるものですよね。手に入れられなかったのであれば尚更。当時のレースでワークスの参戦車両は4ドアじゃなかったでしたっけ?オーバーフェンダーもマストアイテムだったかしら?それにしても、「羊の皮をかぶった狼」とはまさにこの車の為にある言葉だったんですね。

投稿者 KAWAノリ : 2011年12月 1日 01:19

当時はレビントレノ、GTO-MR,チェリーX-!/R、240Z-G
と、オーバーフェンダーを標準化したクルマが百花繚乱
でも、その嚆矢は赤バッジでした。といっても4ドア
時代のそれではなくHTになった1970モデルからです。
それまではワークス活動も4ドア。国さんだって、これ
乗ってたんです。
(1970・1月18日全日本鈴鹿300km S-6 クラス)

投稿者 吉田雅彦 : 2011年12月23日 15:56

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