2011年09月12日
あれから10年・・・・・・
21世紀の始まりの年である2001年9月11日、
世界中が凍りついたアメリカ同時多発テロが発生し、
日本人24人を含む2977人が犠牲となりました。
忘れもしないあの日から10年、J-WAVEの
ニュースルームから追悼式典の模様をお伝えしている
と、あの時の記憶が鮮明に蘇って来ました。
私の誕生日でもあるこの日、私はTOKYO FMの
報道情報センターで泊り勤務に就いていました。
午後9時55分のJFNニュースを読み終えて報道
センターに戻り、ふとテレビモニターを見ると最上階
付近から黒煙を上げるトレードセンターが目に飛び込んで
きました。
音声は消してあったので事情が呑み込めません。
しばらく画面を見つめていると、突然、画面右手から
旅客機が現われ、黒煙を上げるトレードセンターの
裏側に姿を消したかと思う間もなく、いきなり真っ赤な
炎と黒煙がもう一方のトレードセンターから噴出して
きました。
一瞬、我が目を疑いましたが、とっさにテレビの音声を
上げ、トレードセンターに旅客機が突入したことを確認
すると、共同通信の第一報を受けそのままスタジオに
飛び込みました。
時刻はまもなく午後10時になるところ、マイクのカフを
上げ第一報を伝えました。
「番組の途中ですが、ここでニュースをお伝えします!
アメリカ・ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が
衝突した模様です。ニューヨークの世界貿易センタービル
に旅客機が衝突した模様です。詳しい情報が入り次第
お伝えします」
こう伝えた後、再び報道センターに戻って、入稿する原稿を
整理し、またスタジオから情報を伝えるという作業をしばらく
繰り返してから、間もなく番組を特別報道態勢に切り替えて
朝方まで6時間あまりにわたって情報を流し続けました。
もちろん、編成、制作など各部門からスタッフが駆り出され、
ほぼ総動員態勢で報道に当りました。
時間と共に状況が分かり始めると、事態の深刻さに身が
引き締まる思いがし、同時に言いようのない怒りがこみ上げ
てきました。
飛行機をテロの手段に用いて多くの一般市民を犠牲にした
ということの他、何で私の誕生日にという思いも正直、少しは
ありました。
この時の記憶は生涯忘れられないものになりました。
11日に行われた追悼式典にはアメリカのオバマ大統領や
ブッシュ前大統領らが参列し、遺族らを激励して国民の結束
を呼び掛けました。
日本からも遺族が参列し、父親を亡くした13歳の杉山太一
さんが「今までありがとうございました」と父親に話しかけ
ました。
太一さんが最後に英語で「日本のため祈って」と言うと、
聴衆からかすかなどよめきが起きたという事です。
参列した遺族の中には、息子さんを亡くした父親の姿も
ありました。
ある父親は、テロの根源は貧しさから教育が受けられない
ことにあると、イスラムの恵まれない子供たちに暗くても
勉強ができるようにと、懐中電灯や教材を贈る活動をしている
ことをテレビで知りました。
テロを武力で鎮圧することより、長い時間はかかるだろうけれど
教育によってテロを根絶したいという父親の気持ちを思うと
胸が締めつけられるような想いとともに、明るい希望のような
ものが感じられます。
あれから10年、皆さんはどのようなことを感じられたのでしょうか。