2009年07月20日
私のラジオデイズ80
あす21日、衆議院が解散されます。
これによって、衆議院選挙は8月18日公示、
8月30日投票の日程で行われる予定です。
それにしても、自民党はどのような後始末で
衆議院選をむかえるのでしょうか。
今の自民党を見ていると、30年前の自民党の
四十日抗争が思い出されます。
1979年の衆議院選で自民党が過半数を
割り込むと、大平内閣の選挙責任を問う反主流派は
大平退陣を要求し主流派と対立、いわゆる四十日抗争
と呼ばれる党内抗争が勃発します。
選挙後に行われた首班指名選挙では、反主流派が
福田赳夫氏に投票した結果、決選投票となり、大平と
福田の一騎打ちとなりました。
その結果、138票対121票で大平が首班に指名され、
第2次大平内閣が発足したのです。
この抗争で自民党は事実上の分裂状態となり、
翌1980年5月、当時の社会党が内閣不信任決議案を
提出しました。
内閣不信任決議案の提出は、野党のパフォーマンス的な
色合いが強かったのですが、ここでなんと、自民党内の
反主流派が採決を欠席して、不信任決議案は可決されて
しまったのです。
これには野党も驚きました。
先日の内閣不信任決議案の採決では、反麻生を叫んでいた
議員は反対票を投じて否決されたのとは大違いです。
かくして大平総理は衆議院を解散し、総選挙を参議院選と
同日に行う衆参同日選挙へと突入していったのです。
(世に言うハプニング解散です)
総選挙が公示された5月30日、新宿での大平総理の
第一声を収録した後、大平総理は気分が悪くなり
虎ノ門病院に緊急入院、その後、一時は数人の記者と
病室内で会見を行ったものの再び容体が急変し、
6月12日、心筋梗塞による心不全で帰らぬ人となりました。
この結果、おそらくですが私の収録した第一声が公式の
場での最後の大平総理の声となりました。
(勿論、他のメディアも収録していたかも知れません。また、
病室内での会見の音声はあったと思います)
大平総理の死は選挙の状況を一変させ、自民党は
「弔い合戦」を旗印に党を立て直し、衆参両院で圧倒的な
勝利を収めたのです。
(別に皮肉のつもりでこんなお話をしているのではありません
のであしからず・・・・)
大平総理の葬儀は、国葬に準ずる内閣・自民党合同葬として
日本武道館で執り行われました。
まだ現職の総理大臣だったので、アメリカのカーター大統領、
中国の華国鋒首相など各国の元首や代表が参列し、
しめやかに行われました。
この時の中継も担当したので、目の前で繰り広げられる
葬儀の模様は今でも鮮明に覚えています。
明日の解散を待たずに、すでに事実上の選挙戦に突入状態
ですが、今回の衆議院選挙は極めて重要な選挙です。
特に、若い人たちにとって自分たちの将来の命運を決める
選挙と言っても言い過ぎではないと思います。
与野党の対立に終始し、国の大切な目的、使命を失った
感のある現在の政治状況の中で、若い人たちは何を選択
したらいいのか、8月30日までの約40日間をじっくり
考えて、投票行動に結び付けていただきたいと思います。
長い間選挙報道を手掛けてきて、若い人たちに焦点を当てた
企画を放送してきた経験から、若者=選挙仁無関心という
構図ではけっしてないことが分かっています。
若者にも体感温度として受け入れられる選挙報道をいかに
構築するかメディア全体の課題と言えそうです。
今回の総選挙のキーワードは「世代交代」だと思います。
では、また次回に・・・・・