2007年10月22日
「F」の時代
高校時代、あこがれの的だった銘機=ニコンの最高級機F2
70年代前半に,当時の初任給の何倍にも相当する十万円近くもした高級品が,未だに半値近い値段で中古市場に並んでいます。(三角のペンタプリズム付きは新品同様の価格!)ただ、ボディだけなら一万円台からでも手に入れることが可能になりました。
初代「F」の後を受けてこのカメラが生まれたのは1972年、モデルチェンジされるまでの8年近く、第一線で活躍しました。とりわけ報道の現場ではどの新聞社もニコンを配備.交換レンズの豊富さなどシステムが充実していたのはもとより,抜群の信頼性,耐久性を買われたのが理由です。いまでも道具としてちゃんと仕事のできる70年代生まれのモノってほかに有りますか?
人間は別として。
72年は札幌/ミュンヘン・オリンピックがあった年,ほかにも様々なニュースがありました.浅間山荘事件、沖縄返還合意、日航機相次ぐ墜落事故、田中角栄内閣誕生、日中国交回復、テルアビブで無差別乱射事件、そしてオリンピックがテロの標的に・・・等々。いずれの現場にもニコンのカメラが駆けつけ、撮影された写真が紙面を飾ったことでしょう。現場でF2を使いこなす姿に憧れて報道カメラマンを志した学生も少なからず居たのではないでしょうか。
Fの時代が右上がりの希望に満ちた夢の時代だったとすれば
F2の時代は二度のオイルショックで日本経済が翻弄された
激動の時代でした。
デジタル一色となった今でも報道現場がニコン一色なのはこのF2や先代のFの功績が大きいのかもしれません。(最近キャノンも増えましたが)
その頃キャノンはFー1を発表.目指したところはニコンと同じでしたが,キャノンを使うプロはアート関係、広告業界がメインで、人気の点でも今よりずっとマイナーな存在した。
同時代に開発されたカメラはどんどん電子化が進みましたが、露出計や回路が壊れたらカメラもお釈迦。結局古い方が長生きするという逆転が起きています。このカメラが長生きしている理由の一つとして挙げられるのは,アンチ電気カメラだと言う点.露出計用に電池は備えていますが,無くったってシャッターは切れます。当時、電子回路の完成度に信頼を置いてなかったニコンは電子関係の部品をファインダー部分に分離して,あとで交換,追加出来るように目論んでいたのです。勿論今でも露出計はちゃんと電池で動いていますが,いずれ壊れた暁には,単体の露出計で計測、マニュアル操作でシャッターを切ることも可能.プロは最初からその方法で撮っています。キャノンはと言えば電子化に積極的に取り組み、88年にeosシリーズで過去の製品に決別しました。
頭でっかちの無骨なスタイルは,当時それなりの威厳を誇っていましたが,身軽なペンタプリズムファインダーや懐かしいスタイルのレフレックスファインダーに交換することも可能.
今日のお出かけは何を着せていこうか、とリカちゃん人形並みにレンズやファインダーのコーディネートで頭を悩ますのも楽しみの一つです。