2022年12月21日

卒業してから55年?

12月21日、1967年のこの日はダスティン・ホフマンの名作『卒業』が全米で公開された日
スクリーンを飾ったもう一人の主役はアルファロメオの2シーター・オープンスポーツ・カー"デュエット"

ピニンファリナのデザインした非の打ちどころのないスタイルは、以後27年もの長きにわたって生きながらえた不朽の名作でした。
発表当時はイギリスのロータスエラン、シボレーコルベットやムスタングにもオープンモデルが群遊闊歩しており、我が日本でもホンダのSやフェアレディなど同類を容易く探し出せた・・・・・

やがて、アメリカの安全基準が壁となり、80年代初頭には僅かにMG-Bとミジェット、メルセデスの高級なSL位しか生き残っていなかった・・・・・
そんな中、センターピラーに代わるロールバーをビルトインしたVWゴルフ・カブリオレが嚆矢となってシティやファミリア、サバンナRX7等にも相次ぎオープンが誕生
そして1989年、再びオープンスポーツの魅力を世に問うたのが広島生まれのピュアスポーツ、ユーノス・ロードスターだったのだ

安価なオープンスポーツカーでも採算が取れる、商売になるとわかると世界のメーカーがこぞって参入した。
そんなオープン・スポーツの復活劇をじっと待ち続けていたのがアルファスパイダーなのだった。
安全基準のための大げさなバンパーやデザインし直されたテールぶぶんこそ初代のものとは違うけれどピニンファリナの描いたイメージはそのまま。
90年代を迎えて、ようやく次代のアルファ・新スパイダーに席を譲るべく、四半世紀以上の生産にピリオドを打ったのだった。

アルファ・スパイダーの歩んだ27年
アメリカの政権で例えるならばジョンソンからクリントンまで・・・・・
それは自動車業界にさまざまな変革と対応を迫った歴史でもある。
登場早々の60年代末はアメリカでラルフネーダーの安全論議が火を吹き、(これがオープンカーの火を消すきっかけにも)70年代初頭には厳しい排気ガス基準の制定。そして襲い来る73年と79年の2度のオイルショック。
とりわけ日本では昭和53年排気ガス規制と言う世界一高い、大きな障壁が輸入車のみならず、スポーツカーの存続にも大きな影を落とす。
もちろん、景気の停滞やインフレが付加価値の高いスポーツカーの味方になるわけがない。

そうした60年代、70年代を生き抜いた上での27年、いかにアルファ・スパイダーの魅力がこうした障壁を乗り越えてきたかがわかる。

スクリーンデビュー55年を経て、アルファの初代スパイダーはいまだに永遠の輝きを放ち続けているのである。

| 19:27 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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