2007年03月04日

私のラジオデイズ8

戦後しばらくNHK1局時代が続いていた
日本の放送界も、1951年4月に16局の
民間放送局に予備免許が交付され、
その年の9月1日には、名古屋の中部日本放送が
日本初の民間放送局として産声を上げました。
私が小学2年の時です。

その後、12月25日には東京のラジオ東京
(現東京放送)、翌1952年3月31日は文化放送が
相次いで開局し、ニッポン放送も少々遅れましたが、
1954年7月15日に放送を開始しました。

NHKが放送受信料で経営されているのに対して、
民間放送は広告収入で経営が成り立っていることから、
民放ラジオにはコマーシャルが放送されます。
特にコマーシャルソングの登場は、それまで歌謡曲や
ジャズが中心だったラジオ番組に、新たな音楽文化を
誕生させることになりました。

そして、この世界に彗星のごとく現れた一人の天才が
数々の名曲を生み出すことになります。
その人の名は三木鶏郎(トリロー)です。
東大法学部を卒業した三木鶏郎は、政治家や官僚
ではなく音楽の世界を志しました。
この選択は三木の才能を一気に花開かせ、
開局したばかりの民放ラジオに大いなる活力を与えました。

三木鶏郎が開局したばかりの中部日本放送の番組の
ために作曲したのが、日本のコマーシャルソング第1号と
なった「僕はアマチュアカメラマン」という曲です。

 僕はアマチュアカメラマン 素敵なカメラをぶら下げて
 可愛い娘を日向に立たせ 前から横から斜めから
 あっち向いてこっち向いて はい!パチンはいいけれど
 写真が出来たらみんなピンぼけだ ありゃピンぼけだ
 こりゃピンぼけだ みんなピンぼけだ

当時、この曲は灰田勝彦さんの歌で大ヒットしました。
50年以上たった今でもこの歌を覚えていることから
いかに強烈な印象だったかお分かりいただけると思います。
(小学6年の頃、クリスマスプレゼントに当時ヒット商品だった
スタート35というカメラを親に買ってもらい、このカメラを首から
ぶら下げて、よくこの曲を歌っていました)
この曲、コマーシャルソングでありながら企業名や商品名は
いっさい出て来ません。
カメラが出てくるので写真メーカーのCMソングだろうと
思った方はピンポンです。
実はこの曲は、小西六(後のコニカ)の「さくらフィルム」の
CMソングとして作られたものです。
当時、この曲をCMソングと気付いた人はあまりいないのでは
ないでしょうか。

このような画期的な手法を用いて、次々と新機軸を打ち出した
三木鶏郎は作詞家、作曲家、放送作家、構成家、演出家、として
放送界には無くてはならない存在となり、
「ワ、ワ、ワ、輪が三つ」のミツワ石鹸、
「牛乳石鹸、良い石鹸」の牛乳石鹸、
「明るいナショナル」の松下電器産業、
「クシャミ3回、ルル3錠」の三共製薬などなど、
数多くのCMソングを生み出しました。

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という名文句が
ありますが、コマーシャルソングは時代を映し出す
鏡としての役割を今後も担いつづけることでしょう。

blog Master| 11:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | カテゴリー:田中穂蓄

2007年02月19日

F-22ラプターが嘉手納に到着

アメリカ空軍の最新鋭多用途戦術戦闘機
F-22ラプターが18日、沖縄の嘉手納基地に
到着しました。

| 10:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | カテゴリー:田中穂蓄

2007年02月18日

愛称はハミングバード!

ホンダが開発中の小型ビジネスジェット機、
「ホンダジェット」の愛称がこのほど「ハミングバード」に
決まりました。

IMGP3732.JPG

(掲載できる写真をまだ入手していませんので、
私のイラストで勘弁して下さい)

| 10:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | カテゴリー:田中穂蓄

2007年02月13日

感動体験!

横浜高校野球部監督の渡辺元智(もとのり)さんと言えば、
今季、メジャーリーグ・デビューの松坂大輔をはじめ、
ロッテで活躍した愛甲や横浜の鈴木、巨人の斉藤など
数多くのプロ野球選手を育てた名監督として知られますが、
先日、この渡辺監督を囲む会が開かれ出席してきました。

| 08:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | カテゴリー:田中穂蓄

2007年02月04日

私のラジオデイズ7

ラジオドラマの話をいましばらく続けることにしましょう。
「新諸国物語」や「君の名は」とともに、忘れられない
NHKドラマがもうひとつあります。

昭和25年(1950年)にNHKラジオが毎週日曜日の
夕方から放送していた「三太物語」です。
「おらあ、三太だ!」という元気のいい子供の声で始まる
このドラマは、ユーモア児童文学の最高傑作といわれる
青木茂の原作をドラマ化したものです。
ドラマの舞台となったのは神奈川県道志川下流域の
とある村、ガキ大将の三太をはじめとする留、定、花子の
仲良し4人組と美人教師の花荻先生、
それにおっちょこちょいでお人好しの村人たちが巻き起こす
てんやわんやの大騒動をユーモアたっぷりに描いた
日本版「トムソーヤの冒険」といったドラマです。

私の実家がこのドラマの舞台となった架空の村から
丹沢の山並をいくつか越えた神奈川県松田町であることから、
このドラマがたいそう身近に感じられ、ドラマの主人公と
ほぼ同じ世代でもあり、自らの実体験をドラマ化して
いるような感覚で毎週楽しんでいました。
後に映画化もされ、当時の文部省推薦映画として
私が通っていた小学校でも上映会が行なわれました。
また、1961年にはフジテレビがドラマ化しています。

戦後の経済的には決して豊ではない時代でしたが、
そこにはいじめも、自殺もない、心の豊な世界が
いっぱいに広がっていました。
日本にもかつて、そのような時代があったのです。
あれから半世紀、教育改革が叫ばれる中で、対処療法では
どうにもならない大切な何かが忘れ去られている気がします。

| 12:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | カテゴリー:田中穂蓄

2007年01月30日

私のラジオデイズ6

きょうはいつもの回想ではなく、先日体験した
楽しい出来事をご紹介しましょう。

先日、「エフエム世田谷」の深夜番組にゲスト出演しました。
J-WAVEニュースデスクの武田さんからの依頼で、
趣味の模型飛行機の話しをして欲しいということだったので、
二つ返事でお引き受けしました。

番組のメインパーソナリティーは元TBSアナウンサーの
宮内鎮雄さん。
宮内さんと私は同い年で、しかも、今から25年程前、
広島に初めてのFM局(広島エフエム)が誕生する際、
社員研修のインストラクターとして広島FMに派遣された
TBS3人、TFM2人のメンバーのうちのひとり、いやふたり
だったのです。

半年から1年の研修期間が終了し、それぞれ東京に戻ってから
何回かお会いしましたが、今回は久しぶりの再会で旧交を
温めました。(話しが弾んで写真を撮るのを忘れました)
番組では、子供時代のゴム動力機の話しから、ソリッドモデル、
プラモデル、ラジコン飛行機と、ヒコーキゆえに話しが飛んでしまい、
まとまりのない内容となってしまいましたが、楽しいひと時を
過ごさせていただきました。(スタッフの皆さんありがとうございました)

コミュニティーFMはFM放送の原点のようなもので、
日本初のFM放送の誕生からこの世界に身を置いている者の
ひとりとして、懐かしい思いでいっぱいでした。
また、このような機会があるといいのですが・・・・。

放送では模型飛行機の話しをする機会はなかなかないので、
こちらのほうも追々、blogでご紹介していきたいと思っています。
(団塊の世代の大量リタイヤを控えて、模型業界は
いま活気づいています)

| 09:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | カテゴリー:田中穂蓄

2007年01月28日

私のラジオデイズ5

前回のラジオデイズで声優の来宮良子さんのことについて
触れました。
大ヒット・ラジオドラマ「君の名は」のナレーターとして、
一躍有名になった方ですが、来宮さんは現在も現役で活躍
されています。

来宮さんの声で特に印象に残っているのは、テレビ西部劇
「ガンスモーク」に登場する酒場の女主人、キティーの声の
吹き替えです。
この「ガンスモーク」、アメリカでは1955年から
実に20年間にわたって放映され、
視聴率が40%を超える大ヒット西部劇となりました。
日本では1959年からフジテレビ系列で放映されています。

カンザス州ダッジ・シティの大通り、一陣の風が舞い
大男が現れると、ホルスターから一瞬のうちにピーメが抜かれ、
轟音とともにガンスモーク(硝煙)が画面いっぱいに立ち込める。
毎回、このかっこいいタイトルシーンで始まるガンスモークは、
アダルト・ウエスタンの草分けとして、そのテーマ音楽とともに
日本でも人気の高いテレビ西部劇でした。

実は、私は西部劇の大ファンで、この当時、テレビ各局で
放映されていたテレビ西部劇のほとんどを見ています。
「ローハイド」、「ララミー牧場」、「マーベリック」、「ブロンコ」、
「ボナンザ」、「ライフルマン」、「幌馬車隊」、「胸に輝く銀の星」、
「ローンレンジャー」、「バット・マスターソン」、「シャイアン」、
「名保安官ワイアット・アープ」、「バークレー牧場」などなど、
それこそ毎日のようにどこかのテレビ局で西部劇を放映していました。
中でも「ガンスモーク」は秀逸で、ダッジ・シティーの連邦保安官
マット・ディロンとその助手チェスター、温厚な医師ドックと酒場の
女主人キティー、4人が織り成す人間模様を適格に描写して、
単なるアクション西部劇ではない、魅力溢れる作品に仕上がって
いました。
それもそのはず、初期の作品の大半を手がけた監督は
あのジョン・フォードの愛弟子アンドリュー・V・マクラグレンだった
のですから。

で、来宮良子さんですが、そのどすの利いた低音の声質に
西部の荒くれ男どもを相手に啖呵をきるキティーの役がぴったりで、
大人の色気溢れる来宮さんの声に惚れ惚れしたものです。
(ちなみに、マット・ディロンの声は今は亡きロイ・ジェームスでした)

それにしても、私が中学生の頃から活躍しておられる来宮さんは、
現在、「たけしの本当は怖い家庭の医学」にナレーターとして
挑戦なさっています。
「このまま放って置くと大変なことになりますよ・・・・」というあの
フレーズのナレーションです。
声にも当時とまったく変化はありません。
「これはすごいことでありますよ・・・・・」

今回はテレビデイズになってしまいましたが、
西部劇の話しはまた、追々させていただきます。

| 12:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | カテゴリー:田中穂蓄

2007年01月21日

私のラジオデイズ4

NHKのラジオドラマから始まったラジオデイズですが、
私のぼんやりとした記憶を頼りとした、極めて個人的な
印象を書かせて頂いておりますので、タイトルを
「私のラジオデイズ」とさせて頂きます。

さて、新諸国物語はこのあと、「オテナの塔」、「天の鶯」、
「黄金孔雀城」と続きますが、「笛吹童子」や「紅孔雀」ほど
印象に残っていませんので、また、思い出したらご報告
することにしましょう。

当時、新諸国物語と並んで、国民の関心を集めたドラマに
「君の名は」があります。
最近、と言っても数年前ですが、テレビの朝ドラでも放送
されたので、若い方もタイトルはご存知でしょう。
(現在、NHK・BS11で再放送中だと思います)
菊田一夫原作の名作ドラマです。

このドラマの放送が始まったのは、1952年(昭和27年)の
ことです。

  忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う
  心の悲しさよ

声優・来宮良子さんのこのナレーションで始まる「君の名は」は、
当時の人々の心を虜にし、この番組が始まる時間になると、
銭湯の女湯から人が消えるといった社会現象まで巻き起こし
ました。
当時のラジオは、デスクトップパソコンの液晶画面ほどの
大きさの木製ラジオで、どういう訳かほとんどの家が
天井近くの鴨居の上に板を張り、その上にラジオをセットして
いました。
つまり、ラジオの音は上から天の声のように聴こえてきたのです。
しかも、雑音がひどく、リスナーは雑音の中から音源を選り分けて
番組を楽しんでいました。(その分、番組に集中でき記憶として
残っているのです)

この放送が始まった年、私は小学3年生でしたが、親たちが
あまりにも真剣に聴いてるもんですから、ついつい一緒に
つられて聴き入っていました。
内容は大人向けの大メロドラマです。

ところが私はここで大いなる聞き違いをしていることに
気付きませんでした。
「君の名は」を、「君の縄」と思い込んでいたのです。
母に大笑いされてそのことを指摘されたのは、
それから数ヶ月 たってからでした。
これに気付いたきっかけは、チャンバラごっこの時に
必需品である藁で編んだ縄を友だちに渡す時に、
「これ君の縄!」と言っていることを母が不思議がった
ことからでした。

母「お前、面白いことを言う子だね」
私「だって、ラジオでやってるじゃん!」
母「・・・・・・、バカだねこの子は、それは”君の名は”だよ」

てなやり取りで、初めて「君の縄」は「君の名は」
だったことが分かったのです。

後にこのドラマは映画化され、映画が大好きだった祖父母は、
両親に内緒で、夜、こっそりと街の映画館で上映された
「君の名は」を全編、見に連れて行ってくれました。
小学4年生の時です。
すれ違いの後宮春樹と氏家真知子の愛のもどかしさを
今でも強烈に覚えています。

| 12:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | カテゴリー:田中穂蓄

2007年01月16日

ラジオデイズ3

新諸国物語シリーズ3作目の「紅孔雀」は、
前作の「笛吹童子」を上回る大ヒット作となりました。
1954年にNHKラジオで放送され、後に、映画、テレビでも
放映され、どの作品も大人気となりました。

hozumi9.JPG

| 11:12 | コメント(4) | トラックバック(0) | カテゴリー:田中穂蓄

2007年01月12日

ラジオデイズ2

しろくまさん、手回し電話さん、べにさん、書き込み
ありがとうございます。

新諸国物語の1作目はあまり記憶に残っていないのですが、
2作目の「笛吹童子」は、当時、大ヒットした主題曲とともに、
強烈な印象として残っています。

その昔、丹波の国の満月城に萩丸、菊丸という2人の若者がおった、
2人が明国に留学をしている折、満月城は野武士の首領、赤柿玄蕃に
のっとられ、城主は自害し果てるのである。
父の死を知った2人父の恨みを晴らし、城を取り戻すため急遽帰国、
生き延びた家来とともに玄蕃討伐に立ち上がった。
果たして2人の運命や如何に・・・・。

このドラマは、後に東映で映画化され映画も大ヒットしました。
まさに夢と冒険、愛とロマンに満ち溢れた冒険活劇で、
敵役には玄蕃の他に、妖術使いの霧の小次郎、醍婆といった
個性豊なキャラクターが登場し、「スター・ウォーズ」顔負けの
作品に仕上がっていました。

映画の中で使われた白鳥の面と髑髏の面を彫刻刀で彫って、
小学校の同級生に見せたところ大好評で、大量生産したことも
ありましたっけ。

新諸国物語の音楽を担当したのは、当時、尺八の演奏家として知られた
福田蘭童です。
「ヒャラリヒャラリコ、ヒャリコヒャラレロ、どこで吹くのか不思議な笛だ」
と始まる「笛吹童子」の主題歌は、当時、国民の誰もが知るヒット曲に
なりました。
作曲者の福田蘭童は、明治期の洋画家、「海の幸」で有名な青木繁の
お子さんです。
また、蘭童のお子さんは、クレージーキャッツのピアニストだった石橋エータロー
です。
皆、それぞれの世界で偉大な人物だったのです。

余談ですが、福田蘭童は釣り好きとしても知られ、大正14年に日本で初めて
箱根の芦ノ湖に放流されたブラックバスを試験放流の禁猟期間であったにも
かかわらず、こっそり釣り上げてしまったという逸話の持ち主です。
つまり、福田蘭童は日本人で初めてブラックバスを釣った人物ということに
なります。

哀愁をおびた福田蘭童の音楽は、一度聴いたら忘れられない日本人の心を
揺さぶる魅力溢れるものです。

この続きはまたのお楽しみといたしましょう。

| 15:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | カテゴリー:田中穂蓄


2015年 10月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

バックナンバー

カテゴリー