2023年11月21日

Беленко中尉死去

ベレンコ中尉
1976年の日本でこの名前を知らぬ者はいなかった
と言ってもいいでしょう。函館空港に強行着陸した旧ソ連の戦闘機ミグ25から降り立ったのは
日本に亡命を企てたパイロット・ベレンコ中尉、その人でした。

秘密のベールの向こう側から突如やってきた最新鋭のソ連製戦闘機
それは日米、とりわけアメリカの軍事筋には願ってもない宝物だったはずです。
すぐさま分解、点検の上秘密のベールがはがされたことは言うまでもありません。

集積回路が自動車部品にも使われ始めた当時、ソ連の戦闘機にはまだ真空管が使われている!!と話題になったりもしました。
一説には核爆発によるパルス障害を避けるためとされますが、真偽のほどは???ソ連に最先端の集積回路を製造開発する能力があったかは疑問です。

ミグ25(通称:フォックスバット)はアメリカの戦闘機F-15イーグルによく似たレイアウトを持ち双発ターボファンエンジン、1ペアの垂直尾翼を持つマッハ3クラスのベールに包まれた戦闘機(イーグル・スキー)として恐れられていましたが、分析の結果戦闘能力はそれほどでもなく、攻撃用途よりも長距離飛行、爆撃目的を重視した設計ではないかとの結論に達したようです。

その後のベレンコ中尉はすぐさまアメリカに移住し、一度はモスクワ訪問のあと航空イベントのアドバイザーや著述作品の監修などキャリアを生かした仕事をこなし、悠々自適の生活をオッ食っていたようです。
一度は事故死の誤報も伝えられたようですが、これはソ連側の情報操作の疑いも濃厚。
ですが今度ばかりは本当になくなっていたようです。9月24日・・・・あの函館強行着陸の日から48年と2週間の後のことでした・・・・・

事件から10年後日米で公開された映画white nightsではアメリカに亡命したロシア人ダンサーバシリニコフの搭乗機が地方に不時着。
負傷した彼が身分を隠したままロシア領内に監禁されるところから話が始まります。
ブレジネフ書記長の死後とはいえまだまだソ連は鉄のカーテンの向こう側...と言うストーリー展開はどことなくベレンコ中尉を彷彿させるものでした。

さて中尉の愛機・フォックスバットはソ連に変換されたのちロシア国内のどこかの博物館に屋外展示されているとか・・・・・

| 17:12 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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