2023年09月01日
震災で(むかし)大切だったこと
神奈川県央部に暮らしていた祖母はその日まだ小学6年
校庭を歩いていた正午前、突然大きな揺れに襲われた。
関東大震災と呼ばれることになるマグニチュード7.9の地震だった。
幸い自宅は倒壊を免れたものの近所には震生湖【しんせいこ:秦野駅の南西方向に今も現存】と呼ばれる堰止湖(せきとめこ、英語: dammed lake)が発生し同級生も幾人かその下敷きとなって亡くなっていた。
祖母の父は学校に勤務、地震で天皇皇后両陛下の写真(御真影)を収蔵する奉安所(戦前の学校には必ず設置されていた建造物:奉安所や奉安庫とも)が倒壊したことから、納められていた御真影を無事だった自宅に持ち帰った。
いつ余震に襲われてもいいようにと靴を履いたまま縁側で寝起きを共にして御真影をいつでも持ち出せるよう即応体制を敷いていたと言う。
祖母も亡くなって12年、震災当時の記憶を引き出せるのは数少ない明治生まれに限られてしまう。フィルムや印刷物に比べて当時を生きた経験者の情報量はとてつもなく膨大なもの。お元気なうちに少しでも多くの証言をアーカイブ化することが次の時代にバトンタッチ出来る貴重な歴史遺産となる。