2022年01月14日

オート3輪の時代には

昭和37年、当時の日本車はといえばまだまだ高根の花
マイカーがフツーに持てるようになるまでは、まだしばらくかかります。でも、個人所有で車を買える人は確実にいました。それは個人商店主たちです。
配達や小口の運送にトラックやライトバンを個人(商店)で購入し、休日ともなれば家族を載せてドライブ、そんな貨客両用の使い道すらマイカーへの第1歩でした。

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そんな時代に毎月何千台も売れ続けていたのがダイハツのミゼットを筆頭とするオート3輪と呼ばれるトラック群でした。 映画稲村ジェーンに登場する、あのロケットみたいな鼻先を持つ軽商用車です。昭和30年代はまだ軽には車検も車庫証明も存在せず、軒下に両手を広げるくらいのスペースと30万円前後のキャッシュがあれば・・・・・ 当時の初任給から比べたら年収にも匹敵しそうな金額ですが・・・・

昭和30年代の町並みには何処でも容易にスーパーカブやミゼットなどの3輪トラックを見つけることができました.引っ越しトラックだってちょっと大きめのダイハツかマツダの3輪トラック。ミゼットは東南アジアでもタクシー代わりのとゥクとゥクを始めとして広く普及し、今でもその活躍を目にすることが出来ます。

日本も経済成長と共に,もっと「裕福」な4輪トラックが,より購入し易くなったことから,次第に3輪トラックを駆逐する結果となり、ミゼットの生産もオイルショックの前に終了しています.あとを継いだのが今も続くハイゼットなどの軽トラの一群で,フレーム構造やたて置きエンジンを今に継承する古典的なレイアウトはマニュアルのミッションと共に貴重な存在です.

父親のミゼットを休日に駆り出して、彼女をデート・ドライブに誘おうと考えた若者が何人いたかは分かりませんが、スカイライン・スポーツやダットサン・フェアレディといった当時の日本製スポーツカーの何パーセントかで手に入ったモータリングの世界は、きっと楽しいものであったことは想像に難くありません。

| 07:43 | コメント(0) | カテゴリー:吉田雅彦

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