2021年08月12日
ファッション イン ジャパン 1945-2020 --流行と社会
今、新国立美術館で開催中の日本ファッション史を回顧する展示会
撮影は一部のみ可
戦前からの日本の特に洋裁と呼ばれるファッションの変遷を巡る興味深いイベントです。戦後の女性たちのファッション欲求を満たすのは、まず雑誌に綴じ込まれた最新ファッションの型紙でした。
この頃は洋服=買うものではなく自分で縫うもの・・・がポピュラーだったようです。
東京五輪の初開催と前後して消費爆発とともに洋服も作るものから買うものへと変化してゆきます。レナウンのイエイエ娘がワンサカTVCMに登場して、ツィッギーが見事な脚線美をミニスカ越しに見せると、その流行は日本中にあっという間に伝播します。
大阪万博のコスチューム群がいい象徴です。どのパビリオンでもミニスカワンピのコンパニオンたちが笑顔で出迎え、国際線スチュワーデスの制服もこの年を機にミニがデファクトに。あの美空ひばりさえも赤のミニスカで真っ赤な太陽を歌ってヒットチャートの上位に君臨したものでした。
一年遅れて登場のピンキーとキラーズのリードヴォーカル、今陽子は黒のパンタロンスーツで女子のパンツルックに抵抗をなくした功労者でもありました。もう、小学校に女子がパンツルックで投稿しても男子たちから冷さかされるようなこともなくなり、体育の授業でとっても恥ずかしい提灯ブルマーをはかされることもなくなります。これは五輪の女子バレーボール代表、東洋の魔女のおかげでしょうか?
70年ころを境に若い女性向けのファッション雑誌も相次ぎ創刊され、雑誌が提唱するファッションスタイルも生まれます。ハマトラ、ニュートラ、サーファールックなど、少しづつ多様化の様相を見せ始め、80年代に入ると竹の子族に代表される地域発のファッションが生まれます。渋谷がそのうちの発信地の一つとみなされるようになり、ガングロ、ルーズ・ソックスといったアイテムも誕生。三原じゅん子センセイが御履きになっていたなめ猫と同じ、長いプリーツの制服スカートもいつしか見かけなくなりました。
コスプレファッションもある意味、日本が発信源と言ったっていいくらい、世界共通語と化しています。
多様化が叫ばれるイマドキ、昔のミニスカートのように一世を風靡するような画一的なファッションはもう生まれないかもしれません。
時代を彩るファッション、といった言葉も70年代、80年代限りのものだったかも。
2025年、再び大阪で万国博が開かれるまでに、再びミニスカートが広まって・・・・無いだろうなあ・・・・